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掲示板「落葉記」投稿文の中で
解法者氏の論文を下記に纏めました。
「朝鮮問題論文」
「死刑制度論文」
「在日朝鮮人のための韓国講座」 解法者

この講座は、在日朝鮮人が美化(捏造・妄言)してやまない朝鮮人の特質についてその誤りを正すための講座です。
「在日朝鮮人のための朝鮮史講座」は、同じく在日朝鮮人が美化(捏造・妄言)してやまない朝鮮の歴史についてその誤りを正すための講座です。
「日本人のための韓国講座」は、韓国・北朝鮮の政治・経済の現状についての講座です。
 前にも謝りましたが、長文でわかりずらい文章で申し訳ございません。
「ヤマ」さんの指摘もうなずけるところです。
何か極端なことをあげつらっているように感じるかも知れません。
事実と反しているならば具体的な例を挙げて反論してください。

 (注) 番外編には鶏鳴狗盗さん、白紙のゴドーさん、蒼さん、椿四十郎さんの投稿文も掲載させて頂きました。

「死刑制度論文」これは解法者氏がご専門の法律学者としての観点から多くの資料を駆使した優れた論考であると思われます。(落葉)
「死刑制度論文目次」ここをクリックして下さい。

                    (トップページに戻る)
 目   次  
[T]在日朝鮮人のための韓国講座
1 韓国における外国人差別
2 韓国の教育熱(1)
3 韓国の教育熱(2)
4 韓国の教育熱(3)
5 韓国人の本音と建前
6 南男と北女
7 自己と他人(1)
8 自己と他人(2)
9 朝鮮における民族差別
10 地域対立(1)
11 地域対立(2)
12 地域対立(3)
13 地域対立(4)
14 外国に対する尊厳
15 腐敗共和国
16 「士」の社会(1)
17 「士」の社会(2)
18 「士」の社会(3)
19 老人社会の実情(1)
20 老人社会の実情(2)
21 知日家・親日家(1)
22 知日家・親日家(2)   「朝鮮人の本音(1)」
23 知日家・親日家(3)   「朴 正煕大統領」
24 女性の地位
25 男子願望
26 男子願望(2)
27 朝鮮人の呼び名
28 売春天国(1)
29 売春天国(2)
30 売春天国(3)
31 売春天国(4)  
31 人身売買
32 朝鮮における「近親婚」   
32 性暴行(強姦?)大国(1)
33 性暴力(強姦?)(2)大国
34 拝金主義
35 朝鮮人の呼び名
36 日韓友好の虚実(1)
37 韓国における外国人の人
38 朝鮮人の本音(1)
39 朝鮮人の本音(2)
40 朝鮮における「近親婚」
41 朝鮮における漢字(1)
42 朝鮮における漢字(2)
43 朝鮮における漢字(3)
44 朝鮮における日本語(1)
45 朝鮮における日本語(2)
46 順 民
47 熱しやすく冷めやすい
48 性暴行(強姦?)大国(3)
49 韓国住宅事情(1)
50 韓国住宅事情(2)
51 韓国住宅事情(3)
52 銭 湯(1)
53 銭 湯(2)
54 銭 湯(3)
55 銭 湯(4)
56 銭 湯(5)
57 ケンチャナヨ(1
58 ケンチャナヨ(2)
59 世界は自分中心に回っている
60 ぶったくり
61 日本の唱歌(1)
62 日本の唱歌(2)
63 日本の唱歌(3)
64 日本の唱歌(4)
65 天皇陛下の訪韓(1)
66 天皇陛下の訪韓(2)
67 企業道徳

[U]在日朝鮮人のための朝鮮歴史講座
1 朝鮮という国号
2 恥辱碑文
3 誰が韓国を共産主義から守ったか
4 〔補正版〕李氏朝鮮時代と日本統治時代の朝鮮の人口(1)
5 〔補正版〕李氏朝鮮時代と日本統治時代の朝鮮の人口(2)
6 〔補正版〕李氏朝鮮時代と日本統治時代の朝鮮の人口(3)
7 〔補正版〕日本統治時代の朝鮮の人口
7 李氏朝鮮時代の身分制度(1)
8 李氏朝鮮時代の身分制度(2)
9 李氏朝鮮時代の身分制度(3)
10 李氏朝鮮時代の身分制度(4)
11 李氏朝鮮時代の身分制度(5)
12 李氏朝鮮時代の身分制度(5)
13 日本統治時代の朝鮮の人口増加(1)
14 日本統治時代の朝鮮の人口増加(2)
15 日本統治時代の朝鮮の人口増加(3)
16 日本統治時代の朝鮮の収支(1)
17 日本統治時代の朝鮮の収支(2)
18 朝鮮人は、新疆・ウイグル地区の現状に学べ(1)
19 朝鮮人は、新疆・ウイグル地区の現状に学べ(2)
20 朝鮮人は、新疆・ウイグル地区の現状に学べ(3)
21 一進会(1)
22 一進会(2)
23 一進会(3)
24 日本統治時代の朝鮮の人口増加(4)
25 道徳律(1)
26 道徳律(2)
27 道徳律(3)
28 道徳律(4)
29 道徳律(5)
30 道徳律(6)
31 道徳律(7)
32 「反日思想」の根源

                    
[V]日本人のための韓国講座
1 盧 武鉉政権の崩壊
2 韓国のイラク派兵

[W]楽しい韓国
1 韓国での食べ物(1)
2 韓国での食べ物(2)−キムチ(1)
3 韓国での食べ物(3)−キムチ(2)
4 韓国での食べ物(4)
5 韓国での食べ物(5)
6 韓国での食べ物(6)
7 韓国での見所(1)
8 韓国での見所(2)

[X]在日朝鮮人のための北朝鮮講座
1 糞尿大国

朝鮮講座 番外編
1 黄長Y 投稿者:解法者
2 黄長Y(2) 投稿者:解法者
3 黄長Y 投稿者:鶏鳴狗盗
4 韓国の小噺 投稿者:解法者
5 韓国の売春と食べ物 投稿者 白紙のゴドー
6 まじめな話 投稿者 鶏鳴狗盗
7 平和?侵略? 投稿者:蒼
8 パクとキムのザパニーズレストラン 投稿者:白紙のゴドー
9 太極旗 投稿者:鶏鳴狗盗
10 韓国派兵 投稿者:解法者
11 専守防衛 投稿者:鶏鳴狗盗
12 日本人女性が北に亡命? 投稿者:椿 四十郎


[T]在日朝鮮人のための韓国講座
(1)韓国における外国人差別

ソウル市の中心部のソウル市庁(旧京城市庁)の向かい側にある「プラザ・ホテルの裏にはかって中華街があった。ここには中華民国大使館(元中華人民共和国大使館)があり、中華学校もある。これ中心に中国人が多く住み、中華街が発達していた。今は見る影もない。韓国の中国人は山東省の人がとても多い。韓国の対岸山東省だからだ。
中華街が廃れたのは韓国が中華民国との国交を断絶し中華人民共和国に乗り換えたことにもあるが、差別にも大きな原因がある。外国人には不動産の取得が制限されていることもある。将来に希望が持てないのだ。
 韓国も外国から非難を受けて、中華街の復興を目指して中国人が多く住む「仁川」に中華街を作ったそうだが、韓国人に言わせると「中華街って何?」という感じで全くその存在を知らない人が多い。中国人も中華街を作る気力も失われている「笛吹けど踊らず」だ。日本のような中華街が出現する可能性は全くない
 この現状に目をつぶり、韓国人日本人は差別心の強い国民だと非難する。在日韓国人は日本人の差別下で最低の地・仕事に甘んじていると非難する人も多い在日韓国人もこれに便乗して権利の拡大を求めていう傾向が否定できない。
 日本には在日韓国人に対する不動産の取得制限もないぞ。母国の現状を見たらよい。
 ところで、韓国人も中華料理がとても好きだ。韓国における中華料理の一番人気は「ジャージャー麺」である。韓国映画でもよくこ「ジャージャー麺」を食べるシーンが出て来る。日本でも公開された「アタッタク・ザ・ガスステーション(原題 給油所襲撃事件)」もこれがあった。この映画はとても面白い。
                             (目次に戻る)

(2)韓国の教育熱(1)

 韓国では「教育移民」が盛んだ。
韓国は名うての学歴社会だ。韓国では、教育ママのことを「チマパラム」という。「チマ」とは韓国服のスカートのことをいい、「パラム」とは風のことをいう。つまり、子供の教育のためにスカートを風のように翻して東奔西走する様をいう。
 とにかく、母親の教育熱はすざまじい。韓国では大学入試に母親が同行するのは
当たり前だ。子供が受験する間、校門の前に立って一心に祈っているのである。
 校門に「合格祈願」と書いた紙を餅で貼り付ける。学校に付く(合格する)という
意味だそうだ。
 韓国での大学入試は日本のセンター試験のような全国統一試験で行われる。ただ、
これは第一次試験で、その得点を考えて希望する大学での第二次試験がある。
 そこで、12月に行われる第一次試験の全国統一試験での得点を見て、志望の大学を
決める。これを決めるのが家族会議だ。子供をどこの大学に押し込むか、頭が痛い。
この時期に受験生を持つ家庭を訪問してはならない。
 韓国では、国立のソウル大学(日本時代の京城帝国大学の後身)、私立の延世大学、
高麗大学が三大学だ。もちろん、どこの大学を出たかによって初任給が異なる。高卒
などは虫けらだ。学歴が総てだ。
 そうするとどういうことが起きるかというと、成績(内申書)を金で買うことが
行われる。先生には学期ごとに付け届けが欠かせない。これを「白い封筒」という。
これをしないと成績はおろか先生にいじめられることも多い。
 これが誇大だという人がいたら、今年、韓国でヒットした「先生 金 ボンドゥ」
という映画を見たらよい。先生がいかに父兄から「白い封筒」をいただくか奮闘する
かが映画の主題となっている。この映画の日本での上映を期待しているが、韓国の
恥を日本人に晒すので駄目だろう。
 日本統治時代の教育の功績に「白い封筒」がなかったと指摘する韓国人が非常に
多い。                           (目次に戻る)


(3)韓国の教育熱(2)
 
 韓国の教育熱は留まるところを知らない。
それが「教育移民」だ。これについての朝日新聞の分析は間違っている。
「教育移民」が行われる要因は、1、外国への教育熱 2、韓国で大学に合格できない(朝日新聞はここの分析が欠けている) 3、韓国での教育費用が高い 
4、政情(北朝鮮との紛争勃発、左右対立、大衆迎合主義)・経済不安(現政権の姿を見ればすぐに理解できる) 5、韓国の教育システムへの不満(朝日新聞はここの分析が欠けている) である。
 どうも朝日新聞は総てに渡って韓国への批判のトーンが弱く、読者に謝った知識を刷り込む親韓新聞だ。
 韓国人が子弟を外国に留学させるのは大変な費用がかかる。生活水準は日本の3分の1程度だ。韓国では貧富の差が大きい。この経済破綻状態でも外資系企業、ベンチャー企業に勤務する富裕層は少なくない。加えて「腐敗共和国」だから、脱税が非常に多い、国民も脱税を非難しない、運が悪いだけだと片付けてしまう。
 ところで、韓国の教育の欠陥は「実学」に人気がない事にある。何しろ名うての「両班」の国である。大学も「哲学」、「文学」が人気だ。最近では「科学立国」を目指して力を入れているが、研究投資もまだまだ日本には遠く及ばない。
とにかく、文科系でないと出世もおぼつかないのだ。ノーベル賞はほど遠い。
アリャリャ、ノーベル賞を金で買った男がいましたっけ。
 さらに、あまりに生徒を絞って絞り抜くから、大学に入学するころにはヘロヘロになっていて絞り粕も出ない。日本のゆとり教育も問題だが、韓国の詰め込み教育も問題だ。
 さらに競争教育だから当然落ちこぼれが出る。イジメ、援助交際、日本の比ではない。特に暴力事件が多いのだ韓国の特徴だ(かって、韓国で「日本はない(日本での題名ー悲しい日本人」を著したKBS日本特派員「田 麗玉」は韓国でのイジメなどがあるにもかかわらずこれを秘して日本人読者を騙していた)。
  こういう落ちこぼれの富裕層の家庭の学生が日本に就学生(留学生ではない)として日本に来るから、犯罪に走るはずである。韓国人の就学生の犯罪は中国人に引けをとらない。   (目次に戻る)
                 

(4)韓国の教育熱(3)

 韓国の子弟の留学の特徴は、母親も一緒に留学先に赴くことである。留学先の大学などの近くにアパートを借りで一緒に暮らし、子供の面倒を見ることが多い。
したがって、費用が掛かる。そのため、父親は韓国に残り必死になって働く。
このことを「キロギ アッパ」という。「キロギ」とは「雁」のことをいう。「アッパ」とは父親のことだ。つまり、雁のように家族を守って必死になって働くという意味だ。
韓国では父親は悲しい。
 さて、留学先でも「白い封筒」の習慣は抜けない。何とかして子弟を卒業させようと教師に付け届けをする。外国ではそのような習慣はないから、教師は困惑する。
 韓国人は突撃精神だから(神風タクシーのことを突撃タクシーと呼ぶ)、教師の下に駆け寄りポケットに「白い封筒」に捻じ込み駆け去ることも珍しくはない。
 教師は尊敬のもとだ。教師が生徒・学生の採点権を握っているからだ。
小学校の教師で家を建てることができない者はどうしようもない馬鹿だと言われる。
韓国では学校の教師になるのも大変だ。とにかくここでも「白い封筒」が絶対条件だ。
金のない者は教師にはなれない。そしてめでたく教師になると投資を回収しなければならないから、「白い封筒」を父兄に強要することになる。今年の韓国映画「先生 金ボンドゥ」もこれを痛烈に批判しているが、この風習が廃れることはない。
 韓国は「寸志社会」である。「寸志」日本語だが、変な日本語がまかり通っている。
そういえば、「白い封筒」つまり「賄賂」のことを「サバサバ」という。これもれっきとした日本語だ。賄賂を使い願い事が叶う。気持ちが「さっぱり(さばさば)」する。
これが「サバサバ」の由来だ。朝鮮では表面上は日本語の使用禁止だが、なかなか払拭できない。大工道具からサーカスでの用語まで日本語が広くまかりと通っている。
当たり前のことだ。便利であるからだ。
 日本だって朝鮮語がある。チョンガー(独身)、パッチ(ズボン)、チャリンコ(自転車ー朝鮮語のチャジョンコが語源)もそう。でも、「ワッショイ」が「(ハヌニミー神様)ワッソヨ(来ましたよ)」じゃないぞ。何でも日本語の語源が朝鮮語というのはとんでもないこじ付けだ。「侍―朝鮮語のサウラビ」も日本語の「伺ふ(さぶろう)」が語源だ
 奈良時代に日本でも朝鮮語が使われており、朝鮮語でも話が通じた。とんでもない。
日本語と朝鮮語はその遥か遠い昔に分化していたのだ。
 日本の文化は朝鮮の文化、とんでもございません。        (目次に戻る)


(5)韓国人の本音と建前

 韓国人は、日本人のことを「本音と建前のある二重人格者」であるという。
 しかし、日本人の私からすれば、韓国人は「建前と建前だけで本音のない人」という思える。これは韓国人がとてもプライドの高い性格を持つことに由来するということにあるのではなかろうかと考えている。つまり、劣等感の塊で人前では「本音」を言えず「建前」だけで押し通そうとするからである。したがって、会話では何としても相手の「本音」を聞き出そうとするのである。すなわち、腹と腹の探り合いになるのである。
 韓国人の反日も「建前」で本音は「親日」ではないかと感じている。これを公の場で言い出さない(言い出せない)からである。日本統治時代の人と話していると彼らが「日本統治時代」を肯定的に評価するのには驚かされるが、これが表に出ないところが韓国の特徴なのである。
 また、韓国人は日本人のことを「物事をハッキリ言わない人」であるという。しかし、これも私からすれば「どうでもいいことにはハッキリ言うが、肝心なことにはハッキリしないのが韓国人」であると考えている。
特にできないことはできないとは決して言わない。これもプライドの成せる技だ。
日本人「・・・までに納品できますか」、韓国人「いや、簡単ですよ、安心してくださいお急ぎならもっと早く納品できます」。これに騙された日本人がどれほどいたか。
 韓国に行って人に道を聞いてはいけない。決してわからないと言わないから。「・・・ここをまっすぐ行ったらよい」、しばらく行って他の人に聞くと「・・・行過ぎたよ。・・・へ戻りなさい」、いつまで経っても目的地には到着しないから。なお、日本人のように「この道を真っ直ぐ行くと200m先に郵便局があるからそこの手前の道を左に曲がって50m行くとタバコ屋があるからそこを右に曲がって・・・」などとは間違っても教えてくれない。顎で「この先だよ」というから、決して腹を立てないように。このように他人に冷たい理由は後ほど稿を改めて説明したい                 (目次に戻る)

(6)南男と北女

 あまり、朝鮮人の悪口ばかり言うと気分を害される方もおられると思うから、少し、別な話をしたい。
 日本では「東男に京女」という言葉があるが、朝鮮でもこれに類した言葉として「南男北女(ナムナムプンニョ)」がある。これはそのとおり「南には美男が多く、北には美人が多いということである。大韓航空機爆破事件の「金 賢姫」、美人だったでしょう。
 北には美人が多い。平壌に行くとすぐにこの言葉が理解できる。特に中国との国境沿いの慈江道の道庁のある「江界(カンゲ)」は有名だ。日本でも北に美人が多い。故郷の新潟もそうだ。東京に出て来たときにバスに乗って車掌がブスばかりで驚いた経験がある。仙台の大学を受験したが、宿の近くに女子高校があり、宿の前の材木の上に座って眺めていたが、どれも何とも言えないブスばかりで大学に入学する意欲も消えうせた(仙台の人とごめんなさい)。帰って母に聞いたら当たり前だよ。仙台藩の・・・で美人がいないのよ、と言われたことがイマダに記憶にある。美人の条件は「色白」にあると思う。「色の白いは七難隠す」と言われていることを知っておられるだろうか。
 北の女性も同じだ。南(韓国)の男性の望みは「統一が成ったら平壌に行って平壌娘(ヒョンヤンアガシ)と酒を酌み交わしたい」というのである。
 今年韓国で上映された映画に「南男北女」がある。これは中国に行った韓国の若者と北朝鮮の高官の娘とが恋に落ち、引き裂かれるがやがて韓国の若者は考古学の代表として平壌に派遣され、将軍様の情けで恋が成就するという他愛のない映画である。最近では韓国映画もこの手の他愛のないものが多い。「口笛娘(原題 口笛王女)」も将軍様の隠し子である娘と恋に落ちた韓国の若者を描いた作品だが、ここに出てくる女性は北の人ということで、韓国人の願望を表わしている。
 あの北の「美女応援団」の活躍も日本で見られた方も多いと思うが、これも「北女」を前面に押し出した将軍様の高等政治戦略だ。これに韓国人の若者がマンマとはまってしまったわけだ。将軍様は侮りがたい。ただ、将軍様の写真が雨に濡れて可哀想とのパフォーマンスがこれをぶち壊して韓国人の目が醒めた。責任者は今頃、強制収容所に送られていることだろう。             (目次に戻る)


(7)自己と他人(1)

朝鮮は「ウリ」の国だ。「ウリナラ(朝鮮)」、「ウリマル(朝鮮語)」、「ウリシク(朝鮮方式)」何でも「ウリ」を使う。この「ウリ」とは「我々」のことを言うという人がいるが、分析が足りない。「我々だけの」、「我々しか持たない」と考えたら良い。傲慢な言葉である。
 これに比べて日本語の何と美しいことか。「和国(日本)」、「和語(日本語)」、「和室」、穏やかな心の和む言葉だ。
 朝鮮人がなぜ「ウリ」とい言葉を多用するかと言えば、それは朝鮮が「血の社会」であるということに突き当たる。
 朝鮮の汚職は血族につながるものが多いのが特徴だ。「全大統領」の時は実兄と妻が、「金 泳三大統領」のときは次男が、「金 大中大統領」のときは妻、長男、次男、三男、総ての家族が利権に群がった。「ノ ムヒョン大統領」も妻と実兄に汚職が囁かれている。
まさに「腐敗共和国」の様相を成している。北朝鮮はもっと酷い。「金 正日腐敗人民共和国」だ。血族しか信じないのだ。
この現象は大統領など本人に責任はあるが、朝鮮人自体の悪弊である。利権を得るために大統領周辺に群がるのである。この現象は古来からあると思うが、特に酷くなったのは「李氏朝鮮時代」である。その末期には貴族階級である「両班」が全人口の67%にも達したと言われている。もちろん、売官だ。李氏朝鮮時代の地方長官は俸禄がなかったが、赴任した地方から吸い上げる利益たるや膨大なものがあったので、今の100億円くらいで取引されたようだ。そして功成り名を遂げた者に血族が群がる。王妃、国王の妾の親族が政治を欲しいままに動かす「勢道政治(セドチョンチ)」は朝鮮を衰退させた。末期の「閔妃」はその最たるものだ。日本人に暗殺されたが当然だ。オットトト、暗殺はいけませんよね! 「閔妃」が長生きしていたら朝鮮はもっと悲惨なことになったであろう。
最近、韓国では「閔妃ブーム」だが、韓国人は歴史を知らないね。
話が大分脱線してしまったので、次から本題に入ろう。         (目次に戻る)

(8)自己と他人(2)

「ウリ」がいれば「ニム(他人)」いる。先に説明したとおり朝鮮は「血の社会」である。
これに対して日本は「地の社会」である。
 「血の社会」は内にこもる社会、「地の社会」は外に広がる社会である。朝鮮では外に向けた「共同体」が作り難い社会である。なぜなら血族以外は信用しないからだ。
「朴大統領」はこのことにいち早く気が付き「セマウル運動(新しい村運動)」を創設した、これは日本では「農村近代化運動」と捉える向きもあったが、分析が足りない。
「都市セマウル運動」もあり、「国民共同体運動」というのが正確な表現だ。さすが、日本人だった「朴大統領」である。「大邸師範学校」、「満州軍官学校」、「日本陸軍士官学校」を出ていれば、日本人以上に日本人だ。ここが「金 泳三」、「金 大中」両大統領とは違うところだ。「セマウル運動」が日本のどのような制度を真似したのかは各々考えていただきたい。
したがって、朝鮮では「ニム(他人)」にとても冷たい社会である。日本の比ではない。
韓国に行ったら人に道を聞いてはいけないという意味がお分かりいただけたらと思う。
あるとき、日本人が韓国人から招待を受けて訪ねたが道がわからない。その途中で一人の紳士に会って道を聞いたが、にべもない。やっとのことで探して家に行くと件の紳士がいるではないか、しかも、その紳士はヤアヤアと言って握手を求めて来たという。
日本人は理解しがたいが、朝鮮人にとっては当たり前のことである。「道では他人」、「この家では身内」なのである。
でも、一度仲良くなったら、「ウリ社会」の一員になるので親切極わまりない。こちらが恐縮してしまう。こんなときにも自分は相手の「ウリ社会の一員」になったつもりでそれに乗かっていればよい。ただ、お土産だけはケチらないように「ウリ社会の一員」に腹の大きいところを見せなければ「ウリ社会」から追い出されてしまうからだ。母校の大学に入学した韓国人の保証人を数多くやったが、本人が無事大学を卒業して韓国に帰った後に韓国に尋ねたときに、折からのIMFで失職して、こちらにお土産を渡すことができないと言って会いに来なかった者がいた。これも対面だけでなく「ウリ社会」の成せる技だ。
韓国人を家に招待して、韓国人勝手に冷蔵庫を開けても目くじらを立ててはいけない。
「ウリ社会の一員」であるから、他人行儀はいけない。家族と思わなければなりません。
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(9)朝鮮における民族差別

 朝鮮人は日本人は民族差別の強い民族だと言う。
とんでもありません。朝鮮人こそ民族差別の強い世界に冠たる民族だと思う。
日本から多くの朝鮮人が北朝鮮に渡った。彼らは日本での民族差別からの逃避であったと言う。しかし、北朝鮮では差別を受けなかったであろうか。とんでもない。彼らは北で「帰胞(キーポ)」と呼ばれて差別されている。差別とは北朝鮮人となかなか結婚できない。労働党員になれない。軍人になれない(現在ではなることができるが、尉官になるのはほとんど不可能)。の三差別にさらされている。こういうことが行われると「帰胞」も「北朝鮮人」と付き合わない。彼らを「原住民」と呼んで馬鹿にしている。結婚は「帰胞」同士が原則で「原住民」との結婚は例外だ。最近では日本から金銭・物品が送られて来る「帰胞」は「原住民」の垂涎の的で結婚が行われる。日本から金銭・物品が送られて来ない「帰胞」は「貧胞(ピンポ)」と呼ばれ見向きもされない。
 ところで、日本人に対する蔑称としては「倭奴(ウエノム)」、「日本奴(イルボンノム)」、「チョッパリ(動物のヒズメー日本人が下駄を履くことから、動物のようにヒズメが割れている様をいう)」があり、在日朝鮮人に対する蔑称は「半(パン)チョッパリー半分日本人という意味」があり、いずれも今でも使われている。日本人の学生が韓国で下宿しようとして下宿を訪ねたところ子供が出てきて「お母さん日本奴が来たよ」と叫んだところ、その母が「あらまあ! この子はどこでそんな悪い言葉を覚えたの!」と言ったそうだが、日頃からその母が使っていたという話がある。
 日本人の朝鮮人に対する蔑称としては「鮮人」、「半島人」、「チョン公」などがあるが、既に死語になっている。
 在日朝鮮人は日本人の朝鮮人に対する差別を強調するが、母国の日本人に対する差別語の撤廃を求めたという話は聞いたことがない。「櫂より始めよ」だ!

私は法学者という範疇に入ります。もちろん日本人です。私は朝鮮半島にも住んだことはありません。ただ、母の祖父が朝鮮の日本海側で網元をしていた関係で母もこの兄弟姉妹も全員、朝鮮で生まれております。私が朝鮮に関心を持ったきかっけは祖母、母の影響が大きいことは事実です。私の座右の銘は朝鮮の諺で「餅も多く食った者が知る」です。
 私自身、韓国にも数十回、北朝鮮にも数回行っております。特に韓国は全国を訪ねて行っていないのは「珍島ー海が割れること珍島犬で有名)」と「竹島」です。
 祖母、母は、朝鮮にいたために朝鮮語が達者でした。朝鮮人とも朝鮮語で会話していたといいます。当時の日本人としては珍しい存在でした(田舎に住んでいたから朝鮮語なしには一日たりとも生きては行けなかったといいます)。祖母、母は、朝鮮にいたときは朝鮮人ととても友好的であったと言います。これは日本人の目から見たものでそのまま信じてはいませんでしたが、朝鮮に行って日本統治時代(私は「植民地」ということは認めません)に生活していた人に話を聴いてゆくうちに祖母、母の言うことは嘘ではないと確信を持つに至りました。
 ここでの投稿も日本統治時代の圧制を叫ぶ在日朝鮮人の妄言に踊らされている日本人に警告を与えるために、また、それを糾すために始めたものです。        (目次に戻る)

(10)地域対立(1)

 皆さんは朝鮮における地域対立というと「全羅道」と「慶尚道」の対立しか思い浮かばないかも知れない。
 ところが、地域対立は北にもある。平壌の周りの「平安道」と日本海側の「咸鏡道」の対立も激しいものがある。
 ところで、朝鮮には地域を現す言葉がある。ソウルの周辺の「京畿道」は「鏡中美人」、「全羅道」は「風前細柳」、「慶尚道」は「泰山嬌獄」、金剛山のある「江原道」は「岩下老仏」、ソウルの南に位置する「忠清道」は「清風名月」、「平安道」は「猛虎出林」、「咸鏡道」は「泥田闘牛(狗ともいう)」である。これでもわかるとおり「平安道人」と「咸鏡道人」は気質が荒い。金 正日将軍様も「平安道人」と「咸鏡道人」の軍人の配置に頭を悩まされているようだ。
 「李氏朝鮮」を建国した「李 成桂」は「咸鏡道」の「永興―現在の咸鏡南道 金野」の出身だが、「咸鏡道人」を政府の要職につけてはならないと命令している。それほど「咸鏡道人」は我慢強く、猛々しいのである。
 朝鮮戦争で北から多くの人が南に逃れて来たが、そのほとんどは日本統治時代の有産階級で、日本式の教育を受けた人だ。したがって、南の人よりも教養があり、日本語が上手い人が多い。加えて、「平安道人」も含めて我慢強いので、南で成功している人が多い。
皆さんも知っておられると思うが、皆さんがお飲みになったこともあるかも知れない「真露」という焼酎も「平安南道」が発祥の地だ(もちろん、創業者もだ)。
 そういうヤッカミもあって、南の人は北の人を差別する。銀行も金を貸してくれない。
北の人たちが集まって銀行を作ったのは有名な話だ(ただし、IMFで無くなった)。北の人に親日的な人が多い、それは日本時代に裕福な生活を送ったこともあったが、その後の金 日成時代に弾圧された経験とその時代の生活状況と比較することが多いことによる。
このような差別は今でも続いている。北からの亡命者(韓国では帰順者という)はその差別の中で就職も結婚もままらなない。北からの人と聞くと付き合いを絶つ人が多い方言があるから、すぐに北の人とわかる。南風政策というが、南風は「金 正日」ばかりに向けられ、北からの脱出者には吹いてくれない。親切にしてくれる人はほとんどいない。差別に耐え切れずに北へ帰りたいという人も多い。
 在日朝鮮人の皆さん、朝鮮は差別大国ですよね。母国の現状を日本人が知らないと思って、日本人の差別を言わないでいただきたい。知っている日本人もおりますぞ。
あなたの内にも差別がありませんか               (目次に戻る)

(11)地域対立(2)

朝鮮で一番差別を受けている地域は「咸鏡道」、「平安道」、「全羅道」ではなく、「済州島」である。ここは昔から流刑の地で、犯罪人の子孫の集まりだというのが理由である。
そんなことがないはずだが、それがまかりとおっているのが韓国だ。
韓国では他の地域の人が「済州島」の人と結婚したいといったら、親戚中が大騒ぎとなる。差別する者がいれば、これに抵抗するものもいる。「済州島」はそういう差別もあって、光復節(1945年8月15日―日本からの独立記念日)間もなくの1948年4月3日、北朝鮮を排除し大韓国だけでの大統領選出単独選挙の施行を巡って共産党に扇動された人たちが蜂起した。
これが「四・三事件」であるが、血を血で洗う騒乱となり、これに北の「金 日成」から迫害され、南に逃亡してき日本時代の富裕層・有識者(日本教育を受けた者)などの「平安道」の出身者である「西北青年団」が介入した。彼らは反共に凝り固まっていたから、島の共産主義者たちを殺戮した。もちろん、軍も介入し島の人約8万人(島の人口の約1/4が亡くなった。
このときこれを逃れて日本に逃げて(密航)して来た済州島人がとても多い。韓国の人口比率の割りに済州島人が非常に多い(平成13年の日本の韓国人(北朝鮮人、中国出身の朝鮮人などを除く)の外国人登録者627,316人、済州島出身者107,666人(17.16%)―済州島人の韓国の総人口に対する割合 1、7%)。もちろん、徴用などで日本に来た人はとても少ない。済州島人の人口比率と韓国における人口比率をみればわかる。徴用は済州島に集中して行われたのではないのだ。これを徴用と言い張るからおかしくなるのだ。いわゆる日本に出稼ぎに来たのだ。なお、日本に密航した済州島人は北を信奉する者たちも多いので、今の朝鮮総連の幹部になっている者が多い。
 また、光復節(1945年8月15日)後、韓国に帰ったが、再び日本に密航して来た朝鮮人も膨大な数であると言われる。さらには、韓国から日本に密航して来た朝鮮人も多い。反日作家「柳 美里」の父もそうだ。彼らは日本の統治とは全く関係がない。日本政府の無策で日本の永住権を得ているが、彼らから日本統治時代の不平や今の日本の朝鮮人対策についての文句を言われるのは非常に腹が立つ。まず、彼らから整理(帰国、あるいは永住権の剥奪など)をしなければならないと考える。この日本政府の無策については後ほど稿を改めて解説したい。                     (目次に戻る)

(12)地域対立(3)   朝鮮人「気質」

 「全羅道」差別を説明しておかねばならない。
 この「全羅道」差別も新羅と百済の対立時代からのものであるという人もおり、また、「李氏朝鮮」時代に遡ると言う人もいる。確かにこの時代には官吏の登用で差別されていたようだ。そうではなく、「朴 大統領」の時代からだと言う人もいる。歴史はともかく現在も差別がある。
 「全羅道」人の被差別意識も根強く、韓国人の年配の人なら知っている「雨降る湖南線-1956年」は、当時、「李 承晩大統領」に対抗して出馬しようとした「申 翼煕―全羅道の出身ではないが、全羅道人が支持した」がその直前に死亡した
悲しみを歌ったものである。「湖南線」とは、「全羅道」を走る鉄道のことをいう。当時、彼の大統領選出を「全羅道人」がこぞって願ったという。
この悲願を「金 大中」氏が遂げた。
「全羅道」人は被差別意識が強いため、中央に対する反抗心も強く、これが、「全 大統領」のときの「光州事件」をもたらしたのは記憶に新しいが、日本統治時代にも「光州学生事件」が起きている。
 元々、「全羅道」は韓国の南西部に属し、豊な田園地帯が広がり、裕福な地方だったが、これを差別するのは他の地方のヒガミか? わからない。
「全羅道人」に対する差別も就職から結婚に至るまで総てに渡っている。したがって、中小企業などでは社長が全羅道人であれば社員も全羅道人、社長が慶尚道人であれば社員も慶尚道となる。そうはいっても全羅道人は劣勢だからソウルなど中央部の飲食店などの従業員(朝鮮ではこのような職業はとても軽蔑されている)の多くは全羅道人だ。
全羅道の大学から日本に留学した人が、日本のどこかの掲示で言っていたが、全羅道では大学の教員がすべて全羅道人、慶尚道で大学の教員がすべて慶尚道人で占められているそうだ。
「金 大中」も地域対立の解消を掲げて当選したが、結局、政府の中枢を全羅道人で固めた。地域対立の解消はかように難しい。「盧 武鉉大統領」は釜山の出身だが、「金 大中」などの全羅道人の支援を受けて当選したので、地域対立の解消が図れるであろうか。
 日本からの観光ル−トも「慶尚道」の釜山から慶州、そしてソウルと「全羅道」を通らないものが多いが、「全羅道」も観光には欠かせないところだ。「木浦」は日本人が開いた街といってよいが、とても美しい港街だ。近くには「多海島」といってこれまた、美しい島が多い。「金 大中」氏もこの島の一つの出身だ。有名な舟歌「木浦の涙」もこの海を称えた歌だ。
 それと日本人「田内千鶴子」さんで有名な孤児の施設である「木浦共生園」もこの「木浦」にある。韓国をくまなく旅行したが、美しいと思った街は、この「木浦」とソウルの近くにある城壁の町「水原‐京畿道」だ。
 皆さんの好きな「ビビンパッ」も「全羅北道」の道庁のある「全州」の名物だ。その他にも悲恋物語で有名な「春香伝」の「南原」も日本の小京都のような町だ。
 「全羅道」は食べ物も美味しい。これに比べて「慶尚道」はとても食べ物の不味いところなので、是非とも「全羅道」を訪れて欲しい。
 何だか観光案内になってしまって、申し訳ない。        (目次に戻る)

(13)地域対立(4)

「全羅道」差別は、冗談であると言って認めない朝鮮人が多い。特に「慶尚道」の人に多い。それはそうだろう、殴られた奴は忘れないが、殴った奴は忘れるからね。
 そこで、統計などで説明したい。以下の説明は、韓国で一番有名な「全羅道」の「水野俊平 全南大学講師」の著作(なぜだか韓国で一番有名な日本人―亜紀書房(2003.7.25発行)と韓国中央選挙管理員会から引用する。
1、 大統領選挙(地域別得票率)
 (1) 1987年       慶尚道        全羅道
               (釜山を含む)    (光州を含む)
   盧 泰愚・金 泳三     91.07%      9.66%
   金 大中           4.60%     87.53%
(2) 1992年       慶尚道        全羅道
                (釜山を含む)    (光州を含む)
   金 泳三          67.47%      31.80%
   金 大中          9.77%      64.56%
(3) 1997年       慶尚道        全羅道
                (釜山を含む)    (光州を含む)
   李 会昌          58.8%        3.3%
   金 大中         13.1%        94.8%
(4) 2002年       慶尚道        全羅道
                (釜山を含む)    (光州を含む)
   李 会昌          68.88%        5.02%
   盧 武鉉         31.12%        94.98%
    * 李 会昌は忠清道、ノ ムヒョンは釜山の出身
2、1996年7月 現代リサーチ研究所のソウル市民 20歳以上1000人の調査
(1) 地域差別の深刻さ
   とても深刻だ     36.7%
   問題のあるほうだ   52.7%   合計  89.4%
3、1999年3月 韓国リサーチの国会議員、地方自治体の首長、企業の役員、
 大学教授、企業の役員、市民団体の代表 330人の調査
(1)地域差別の深刻さ
   深刻だ        88%
   深刻でない       9%
(2) 金 大中政権になって改善されたか
   改善された      28%
   悪化した       19%
   あまり変わらない   51%
 数字は正直だ。こんな選挙結果は日本では見られるだろうか? 
盧 武鉉候補は釜山の出身であるにもかかわらず、金 大中の支持を受けただけで全羅道(光州を含む)で圧倒的な支持を受け、李 会昌候補(忠清道の出身は慶尚道(釜山を含む)では圧勝だ。それは民主党(金 大中の私党)が全羅道を、ハンナラ党(一つの国党)が慶尚道を支持基盤としているからだ。
党是は民主党が自由主義、ハンナラ党は保守主義であると一応は色分けされるが、ほとんど差がない。国民は俺が郷里の党だ。
韓国の民主化はほど遠い、そして、慶尚道と全羅道の対立は解消する気配はない。
対立とは>差別<である。
韓国人は世界に冠たる「差別民族」である。          (目次に戻る)

(14)外国に対する尊厳

 日本では刑法第130条第1項で「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚した者は、二年以下の懲役もしくは禁固又は十万円以下の罰金に処する」という規定がある。ただし、これは「外国政府の請求を待って論ずる」(同条第2項)となっている。
 しかし、韓国にはこれに関する規定がない。しかし、自国の国旗に対する損壊行為などは罰せられる。
 ということは、俺らが国の尊厳は守らなければならない、外国などう侮辱しようが関係ないという世界には通用しない傲慢な態度を貫いている。
 日本を侮辱するな! その代わりあなたの国への侮辱も自国民には許しません。これが大人の国ではないか。
 韓国を見ていると「小人閑居して不善をなす」という言葉を思い浮かべる。
それともう一つ、「良いことは自分のせい、悪いことは親戚のせい」、これ、朝鮮の諺です。
さらに「隣の従兄弟(日本)が蔵を建てる(繁栄する)と腹が立つ」、これも朝鮮の諺です。
こういう国が隣にあるのが厄介だ。日本統治時代の日本人は朝鮮人を善導するのに大変なご苦労をしたことでしょう。
 なお、「行く言葉が美しくてこそ、来る言葉が美しい」、これも朝鮮の諺ですが、これを守っていただきたいものですね。                     (目次に戻る)

(15)腐敗共和国

 本日、「ノ ムヒョン大統領」が側近が大統領選挙の際に投資会社SKグループから巨額の選挙資金の提供を受けていたとして国民の弾劾を受けていることに関して国民の信を問うことを発表した。国民投票で信が問われると思われる。こちらは、掲示板で前から「ノ ムヒョン大統領」は任期途中で大統領の地位を投げ出すと言っていたが、現実味を帯びて来た。
 ノ ムヒョン候補は大統領選挙の際には豚の貯金箱を回して国民から浄財を集めてそれで選挙資金をまかなったと清潔選挙を売り物にしていたが、こちらはてんで信じていなかった。
 ノ ムヒョン大統領は貧しい農家の出身で高校を卒業してから苦学して司法試験に合格したという美談で貧しい人、労働者の味方だとして大統領にまで上り詰めたが、選挙の際に放映された家も立派だった。これを見て「金 大中」と同じだと思った。
 「金 大中」は日本の左翼連中から「民主化の闘士」とあがめられていたが、全く事実を知らない(知っていたが隠蔽していた)者のたわ言だ。どこの国でも大統領選挙には金がかかる。「金 大中」がどうして選資金を集めたかという、財閥や富裕層のスキャンダル、主として不正蓄財の情報を集める。何しろ腐敗共和国だから何かしら叩けば埃が出る。そこでこれをネタに脅す、こうして金を集めたのだ。ソウルの自宅は日本の田中御殿に匹敵する。
 こういう腐敗した者は家族も腐敗する。子供三人も収賄で起訴されている。夫人も同じ容疑がかけられている。正に腐敗家族だ。
 「上が澄んでこそ下が清い」朝鮮の諺だ。「上が汚れていれば下も汚れる」
 「金 大中」は「金 正日」に10億ドルを提供して「首脳会談」を実現させ、ノーベル賞を金で買ったが、その側近の「朴 智元大統領補佐官」はこの秘密資金を調達するに際して15億円も現代グループなどから収賄して逮捕され裁判中だ。腐敗は日本でもあるが、規模が違う。
 腐敗共和国の根源は「李氏朝鮮」だ。せっかく日本が善導したのに、統治時代が終わるとこの有様だ。もう一度、日本に統治してもらったら良いと、昨年、韓国の知人に言ったら、絶交となった、知人も反論があるまい。                       (目次に戻る)

(16)「士」の社会(1)

 朝鮮では職業の貴賎が殊のほか激しい。
 「士」でなければならない。「士(サ)」とは、弁護士、会計士、税理士、大学の教師(キョサといって「サ」と同じ発音)医師(ウィサ)、のことをいう。この職業に就けば花嫁の心配はない。3つの鍵を持参してくれる。「事務所(医院・研究所)」、「マンション」、「金庫」の鍵の3つだ。持参金が少ないと言って医師の夫と母親が妻(嫁)を殴り殺した例もあった。これは極端だが、嫁をいびったりするのはニュースにもならない。
 そうそう、韓国・北朝鮮に行ってタクシーに乗っても間違っても「運転手」と言ってはいけない。運転手のなかには日本語をわかる人もいるから、とても嫌な顔をされる。本当かどうかはわからないが途中で降ろされた日本人もいると聞く。「技師様(キサにむ)」と言わなければならない。北朝鮮では「運転士」だ。
 韓国からの留学生が日本に来て驚くのは、テレビでも職業を聞かれて、個人タクシーの運転手をしています、八百屋のおやじです。食堂の主人、と平気で言うことだという。
 韓国では、こういうふうには言わない「社長です」だ。たしかに、個人タクシーの運転手、八百屋のおやじ、食堂の主人も「社長」だよね。
 朝鮮にはとても関心がある。専門外だが日本統治時代の朝鮮のことを調べている。韓国には終戦後に韓国から引き上げてきた日本人が膨大な蔵書を韓国に置いて来た。これが韓国の古本屋にかなり出回っている。相当数を購入したが、困るのはせっかく仲良くなった古本屋の親父が金がたまるとすぐに転業してしまうからだ。社長になりたいからだ。古本屋の親父も社長だよ。韓国では通じない。韓国では10年同じ小規模の店をやる人は珍しい。
韓国には老舗などという観念はない。
 わかりますよね。これが「両班(ヤンパン)」意識というやつだ。日本統治時代の直前のことだが、「両班―貴族」がフランス大使がテニスをしているのを見て、大使のくせに何をやっているのだ。汗をかくことなど召使にやらせておけばよい、と言った逸話がある。
そのとおり、汗をかく仕事は最低の仕事なのだ。経済が破綻状態なのに3D(日本の3Kのこと)には韓国人は就かない。不法滞在外国人がやっている。人口は日本の1/3だが、
不法滞在外国人は日本と同じくらいいる。            (目次に戻る)

 

(17)「士」の社会(2)

 韓国で一番軽蔑される職業は、飲食店・レストランの経営者・従業員だ。商売人は詐欺師と考えられている。韓国へ言ったら、あなたは商売をする人を詐欺師と同じと考えていますかと質問したらよい。韓国の職業感が伺われておもしろい。詐欺師も「師(サ)」だが、これは日本の言い方で、韓国では「サギクン」と言い、「サ」はつかない。商売人はこのように見られているから「商道徳」などを商売人に求めることは無理だ。韓国で朝鮮総督府の書籍の復刻版を買い求めたことがあったが、「6」、「9」が取り違えられて折『韓国では珍しいことではない。「6」が二冊あった。韓国の友人に「9」と取り替えてくれるように交渉して欲しいと行ったが、止めた方が良いと言う。買うときに確かめなかった方が悪いと言われ、結局はダメだった。最近は日本でも「商道徳」は地に落ちでいる。このままでは韓国並みになること必至だ。
ところで、このような仕事の人は韓国へ行ったら間違って本当のことを言ってはいけない。社長で通すことだ。仕事の内容を聞かれたらせめて食品関係の卸売り(小売とは言ってはいけない)と言うことを勧める。在日朝鮮人母国で軽蔑されるのは、「士」でないからだ。そして、その就いている職業に原因がある。従業員、平社員も「部長」と言うことだ。本当のことを言ったら、ハナも引っ掛けてくれない。ところで、父、祖父の職業も大切だ。こちらは「サ」の資格が多数あり、父、祖父も「サ」だ。しかし、幼いときに父が亡くなり母の実家である旅館で育った。これがいけない、せっかくの「サ」の資格も色あせてしまう。「サ」は「サ」の家から育つのだ。幼いときから旅館で身を粉にして働く母を見て育って来た。一億総サラリーマン化している現在を見るにつけ、母の背中を見て育って来たことはありがたく,得がたいことだった。とても誇りにしている。韓国では旅館と言うと酒飲みを相手にした酌婦の店か、売春宿にしか見られない。これでも立派な仕事であると思うが、全くそれが通じない。日本にも職業の貴賎はあると思う。しかし、韓国とは全く価値観が違う。韓国人にいつも力説するが、日本は靴磨きにも日本一がいる。どこもかしこも日本一を目指して身を粉にして働いている。
商人が信用されない社会、こんなところで良い製品ができるはずもない。韓国はこれを是正しない限りいつまで経っても二流国だ。                   (目次に戻る)

(18)「士」の社会(3)

 「士」の社会だから、学歴にうるさい。韓国人は日本人に平気で出身大学を聞いてくることが多い。韓国人は日本の大学のランキングにはとても詳しい。東京大学でなかったら、早稲田大学と言えばよい。そのときから接し方が一変するから。せめて京都大学どまりだ。慶応大学はあまり韓国では有名でないから注意されたい。絶対に高校卒業だなどとは口が避けても言ってはならない。クズ扱いされる。高校中退などはもっての外だ。
 大学も一番人気は「哲学」、次いで文学、歴史などで日本の「文学部」に集中する。日本でこれらを専攻した人は胸を張ってよい。
 これは李氏朝鮮の伝統にある。李氏朝鮮では「両班」が権力の中枢を握っていたが、これは両班のうちで「文班」の方で「武班」が権力の中枢にいたことはない。その時代の身分制度は、王族、両班、中人、常奴、奴婢・白丁(動物の屠殺、柳細工の製造・販売に従事したもの)・才人(大道芸人)などとなっていた。両班の登用試験が「科挙」である。科挙はほぼ3年ごとに行われ、「文科(大科(中級)、小大科(初級))」、「武科」、「雑科」に分かれていた。「雑科」とは、医学、翻訳、算術、天文、地理などの実学の登用試験だが、中人に限られた。科学立国を標榜する韓国で実学部門で「ノーベル受賞者」が出現しないのはこれにあると考えるがいかがであろうか。
 朝鮮人は外形で人を判断するから、韓国に行って人に会うならば、良い背広を着て、ピカピカの上質の靴を履き、オメガの時計をはめて行きなさい。せめて「セイコー」にしなさい。間違っても千円時計はダメだ。三星財閥傘下の会社に招かれて行ったときに時計で恥ずかしい思いをしたことがある。時計は時間を確かめるためのもので正確でありさえすればよい。韓国ではこんなことは全く通じない。時計、その人の身分を示すものだ。時計一つで尊敬もされ、馬鹿にもされる。北朝鮮でも同じだ。オメガなど知らないから、絶対的な人気のある「セイコー」をはめて行きなさい。何〜にもない国だが、時計だけはこだわる。
 名刺も豪華なものが良い。名前が金縁ならなお良い。学位を持っている人は必ず名刺に刷り込んで欲しい。
 朴 正煕大統領を1974年(昭和49年)8月、ソウルの世宗会館で、在日朝鮮人の「文 世光」が狙撃し、大統領夫人の「陸 英修」が殺されたが、彼がなぜ警備厳重の建物にピストルを持って入ることができたのかといえば、彼が高級車に乗って会場に入ったからである。    (目次に戻る)

(19)老人社会の実情(1)

 韓国は人の長若の序列が厳しい。交通事故などでもまず相手の年を聞く、年下となると急に態度が大きくなる。何で交差点で年長者に道を譲らないかなどという訳のわからない話になる。あなたの顔が見えなかった、年長者とは気がつかなかったなどとの言い訳は通用しない。たいがいは年長者の言い分が通るということで決着する。こうした場合には年下の者は年長者の感情を刺激しないようにする。年長者も対面が立つので「お前は若いのに道義を知る偉い奴だ、補償はいいや」ということになる。
 年長者は年下の者に丁寧語を使うことはない。ぞんざい語(パンマル)を使う。子供に向かって「・・・チャン お食べなさい」などと言うことはない。「・・・食べろ」だ。
逆に年下の者は年長者には殊のほか丁寧語を使う。韓国にも敬語があるが絶対敬語で日本のような相対敬語ではない。これは先の理由からだ。「社長さん いらっしゃいますか」、
「社長様はお出かけになって今は会社にいらっしゃいません」と言う。「社長は出かけております」などとは決して言わない。
 韓国は年配者をとても敬う、今から20ほど昔、韓国を訪ねて朝鮮戦争の帰趨を決めた「仁川」を見物したくてソウルから電車に乗った。途中の田舎の駅で老夫婦が乗車してきた。座っている者が4,5人立ち上がり、どうぞと手招きする者、手を取り自分の席に座らせようとする者、見ていても年長者に対する尊敬の念が見て取れた。こちらもあわてて立ち上がったが一呼吸遅れて様にならなかった。とても恥ずかしかった。今でも鮮明に記憶にある。ところが今は全く事情が違う。日本と同じだ。年配者が乗車して来てもどこ吹く風だ。居眠りしているような振りをしている女学生も珍しくはない。あるときそれを見た私が日本語でこのことを同行者に説明していたら、これを聞きつけた韓国人がその女学生に向かって、外国人に恥ずかしくないのか、この野郎と怒鳴ったことがある。こちらも韓国語が理解できるから、韓国も変わりましたね、日本と同じですよと言ったら、全くなさけない国になったもんだと言われていた。近代化、民主化というものは、良き伝統を一つずつ消して行くものだと感じた。            (目次に戻る)

(20)老人社会の実情(2)

 韓国は年配者を大事にすると言ったが、現在はだいぶ事情が異なる。ソウルの中心部に
「タプコル公園」がある。仏舎利塔を意味する「パゴダ公園」と言った方が通りがよい。
日本統治時代の1919年(大正8年)3月1日、独立宣言が読まれた場所だ。公園にはそのときの様子のリリーフがあり、歴史をしのばせる。
 この公園は年寄りの溜まり場となっている。韓国も老人社会を迎えている。しかし、年寄りは行き場がないのだ。韓国では社会保障が遅れているから、公務員の他は年金もない。
生活も大変だ。加えて老人と若者の断絶が激しい。昨年の大統領選挙も老人が「李 会昌」候補に、若者が「盧 武鉉」候補に、投票した。
韓国人は政治好きだから家庭で口論し、喧嘩に発展したのも珍しくはなかった。
 かっては、家長に逆らうことなど考えられなかった。今の老人たちは朝鮮戦争という激動で苛酷な時代を生きてきた。家族を守るのに必至だった。にもかかわらずだ。家族から孤立している。妻は子供の味方だ。行く場がない。韓国では熟年教育、社会教育が日本とは比較にならないほど発達していない。することもないのだ。せいぜい、朝鮮将棋、花札(花闘(ファトゥ)をするしかない。勢い公園に集まることになる。
 公園に行くとすぐに日本人とわかるのか、日本語で話しかけてくる。日本人と話すのは1945年以来だという人も少なくない。日本語は達者だ。「おじいさん 日本人は偉いでしょう、あなたがたが忘れないように教えたのですから」と言うと、「俺の頭が良いからさ」という言葉が返って来ることも多い。話はいつしか日本時代の話になる。こちらのことを気遣ったくれることもあろうが、日本統治時代は酷かったという人はいない。必ずといっていいほど、学校時代の日本人の先生の話になる。日本人との同窓会をもっている人も多い。こちらも日本統治時代を評価しているから、日本統治時代の話は大歓迎だ。ていねいにその時代の日本の政策を説明すれば納得してくれる。何しろその時代を経験しているのだ。「餅も多く食べた者が知るー何事も経験」なのだ。
 韓国に行かれたら近くの公園を訪れたらよい。日本人、大歓迎だ。
 韓国で道に迷われたら老人を探せばよい。まず、日本語が達者だ。そのついでに日本統治時代の話をしてもよい。韓国の老人は暇だから食事など一緒にされて仲良くなっていただきたい。韓国での食事代など高が知れている。                      (目次に戻る)

(21)知日家、親日家(1)

 韓国には日本統治時代を経験した人がまだゴマンといる。
 知人の一人に金さんといって、北の平壌付近の平安南道から韓国に渡った(越南)した人がいる。熱心なキリスト教徒だ。
 日本統治時代には、父親が村の有力者で水利組合の理事長をしていたという。北朝鮮は日本の1/2位しか雨が降らないので昔から水争いの多いところだ。水利組合の理事長、村の有力者であるとともに人望がなければならない。平安南道は朝鮮のキリスト教発祥の地といわれ、それもプロテスタントの長老派が多い。教会を村の有力者が建てて牧師を呼ぶのだ。この教会を運営する村の有力者が「長老」だ。金さんの父親も「長老」だ。
 日本統治時代は何不自由なく暮らし、旧制中学校に進学し、日本人と共に学んだという。
それが、1945年8月15日の光復節(朝鮮独立記念日)を迎えて間もなく「金 日成」
一派がやって来た。運命は暗転する。
 金さん一家は親日家で邪教の信者ということにされた。当時の有産階級はすべて日本と結託して財を成したとされたそうである。村の水利組合の理事長として村人(もちろん日本人もいた)のために尽力していたのである。特に日本人との対立があるわけではなく、近隣の人と同じような付き合いをしていたそうだ。日本人におもねって財を成したわけではない。努力と才能によって財を成したのである。日本統治時代はそれが可能な時代だったそうである。そして、熱心なキリスト教徒だからといって迫害されたこともないという。
 辛いことといえば作人が人民委員会の委員に祭り上げられ金さん一家の糾弾の先頭に立ったということだったという。土地は没収、父親は信者の前で銃殺という悲惨な結果となった(北から南の韓国へ逃げて来た人の中には父親が有産階級で親日派ということで銃殺された経験のある人がとてもも多い)。もちろん、金さんも反逆者の息子だから学校など通えない。一家は滅亡の危機にさらされた。 (目次に戻る)

(22)知日家、親日家(2) 別題 朝鮮人の本音(1)

 危うく「TK生」には騙されるところだった。「TK生」は元東京女子大学教授?の「池明観」ということが判明した。
 「池 明観」は今、韓国で日本文化の開放の審査の元締めをやっている。
「TK生」が連載されている間に韓国に行く機会があった。
 さぞかし、韓国では「朴 正煕」大統領のもとで国民が暗い生活を送っていると思った。ソウルの南大門市場に行ったが喧騒に溢れていた。日本にはない光景に驚いたこと。
 20世紀の終わり頃、「平壌」にも行って来た。国民に笑っている人が一人もいなかった。この落差に驚いた。
 「TK生」が全盛期を迎えたころには日本で北朝鮮の実情を知らせ、これを批判する知識人はいなかった。躍進する「千里馬の国」北朝鮮、圧制に苦しみ低迷している韓国、これを主導したのが、「TK生」を連載した「岩波書店」であり、朝日新聞、NHKであった。
 安江は亡くなり、この誤った(意図的な)報道を今でも反省する知識人はいない。拉致にも口をつぐんでいる。
 知識人とはこんな者かも知れない。
ところで、「日本文化」、韓国では口が裂けても「日本文化」とは呼ばなかった。「倭色文化」と呼ぶ。背の低い奴(日本人)の文化と呼ぶ、文化と呼んでくれるだけありがたい。
これも昨年あたりから「日本文化」の開放に伴い少しず「日本文化」と呼んでいただけるようにはなったが、まだ「倭色文化」が支配的だ。
かって、日本でも「縮みの文化」を著し、日本人の盆栽、箱庭を評価していた「李 御寧」という大学教授が文部大臣になったとたん「日本の文化は物まね文化で独創的なものはなく、韓国などからの移入文化に過ぎない」と日本文化をこきおろした。
 「池 明観」は韓日文化交流政策諮問委員長を務めているが、昨年、韓国のMBCと日本のTBSが共同制作した「フレンズ」というドラマが韓国で上映されたが、主人公の日本女性(深田恭子)の台詞が日本語のまま放映され韓国語に吹き替えがなされていなかったとして厳重に抗議を行った。さらに、MBCとフジテレビが共同制作した「ソナギー雨の上がった午後」にも同じようなことがあるとして再び抗議を行った。
 二件とも共同制作したMBCの勇気ある(当然)反論でこれに迎合しなかったので事なきを得た。「池 明観」、日本で日本文化を専攻したというから漫画だ。
 こういう知日家、親日家というのが実は「反日家」ということに日本人は心すべきである。日本人は甘いから 韓国人の甘言に騙されてはならない。

母親がここにいてはダメだ、せめて長男のお前だけでも南に逃げて生き残ってくれ、と言って南に逃がしたと言う。
 金さんも南に逃れて来たものの親戚などいない。手っ取り早いのが軍隊に入ることだ。
軍隊に入ったら朝鮮戦争が始まった。国連軍と共に北上し、故郷に入った。かっての作人は逃げ出していなかった。家族を連れて南に行こうとしたが、姉は嫁いで平壌におり、弟、妹2人は幼くて連れて南下できない。やむなくすぐ下の弟だけを連れて南下することになり、大同江のほとりで涙ながらに家族全員と別れた。今でもその光景は忘れられないと言う。
 金さんに尋ねた。「日本統治時代はどうでしたか」、「あの時代は平穏な時代だった」。
さらに、「金さん、それはあなたの一家が裕福だったからではないですか」、「そんなことはない、日本人も朝鮮人も同じだった」。「あなたの感じた日本統治時代の良かった点は何ですか」、「土地(農地)の整地が行われて、飛躍的に米の生産量が増加したことと地域医療と公衆衛生が推進され、病人が減ったことだ」、「米は日本に供出させられて飢えたことはありませんでしたか。餓死者は出ましたか」、「今の北朝鮮ではあるまいに、そんなことは村にもなかったし、他でも聞いたことはない。それよりも光復節後に米を供出させられてとても飢えたことがあった。米はソ連に行ったそうだ」。
 また、「>従軍<慰安婦問題についてどう思いますか」、「あれは職業だよ」。「あなたの村から生娘を朝鮮総督府や日本人が強制的に徴発したことがありましたか」、「ない、近隣の村でも聞いたことがない」、「日本人に連れて行かれるから早く結婚した方がよいという噂がありましたか」、「全くない、姉もそれで急いで結婚したのではない」、「徴用はどうでしたか」、「親戚で行った人もいる」、「徴用は強制的に行われましたか」、「割り当てもなかったようだ、親戚の者も出稼ぎ気分で行った」、その人は今どこにいますか」、「日本にいる、運が良い、故郷に戻っていたら共産党に殺されていた、日本に行った者が助かり、残った者が死んだ、何とも言いようがない」。            (目次に戻る)

(23)知日家、親日家(3) 別題 「朴 正煕大統領」

「金 大中」と両極端の位置にあるのが「朴 正煕大統領」である。大統領は偉かった。日韓協定を締結し、日本からの補償で国を再建した。
 それは彼が日本人だったからだ。大邸師範学校、満州軍官学校、陸軍士官学校を出れば、立派な日本人だ。私は朝鮮人に対して日本人だったと力説しているが反論は受けていない。韓国を先進国なみに押し上げた。歴代の大統領の中で一番清廉潔白だ。財産は残さなかった。彼が腐敗しなかったのは、朝鮮の悪弊、血族政治を行わなかったからだ。親族は「青瓦台ー大統領官邸」には入れなかった。
 後の大統領が彼の遺産を食い潰した。おそらく「盧 武鉉」大統領は任期中に辞任するだろう。韓国は今、空前の大不況だ。IMF時代のときよりすざまじい。日本にも若者がドンドン不法入国して来ている。
 日本統治時代に培って来た人材の承継が行われなかったのが要因の一つと考える。
 いたずらに「日本統治時代」を批判しても韓国の現在は語れない。
「日本統治時代」がなかったら、韓国は今の北朝鮮並だ。
 北朝鮮は、ソ連、中国の影響で現在の国家体制が創られたというのは誤りだ。朝鮮の歴史を見れば、現在の国家体制は必然的だとも言い得ると考える。李氏朝鮮と一緒だ
韓国が李氏朝鮮時代に戻らないのは、それでも日本統治時代に教育を受けた人を一部ではあるが厚遇したからだ。世界一,二を争う「浦項総合製鉄所(現在は改名)」を「朴 正煕大統領」の協力を得て創設した「朴 賢俊?」。彼は早稲田大学の出身だ。日本の人脈を生かしたのだ。韓国一の財閥「三星」の創設者、二代目の現会長も早稲田大学の出身だ。彼らも日本との人脈を十二分に生かしている。
最近、韓国は日本との人脈はない。義理も情もある日本人と違って米国人脈だけじゃ国家の再建は無理だ。
 朴 大統領も石原都知事に「日本に支配されたのは朝鮮人として苦渋の選択だった」と述べて、反日言動に走る側近をたしなめたと言います。このように日本統治時代を経験した人が日本を評価し、経験もしていないものが反日とはおかしな国です。              (目次に戻る)

 「日本統治時代の教育はどうでしたか」、「今にして思えば、大きなところでは誤りがあったが、小さなところでは大変良かったと思う、大きなところというのは、朝鮮人を日本人化しようとしたことあったという意味で、小さなところとは、正直、勤勉、規律、節約を徹底的に叩き込まれたということだ。正直、勤勉、規律、節約ということは世界普遍の原理だ」。
「日本人の先生に会いたいですか」、「会った、自分が今あるのは、その先生のお陰だ。旧制中学校の同窓会も日韓合同でやっている」、「日本時代には>白い封筒<はありましたか」「あるわけない、実力主義だよ、どうしてこんな恥ずかしい制度が生まれたかわからない、もちろん、日本にはないよな」「今の北朝鮮の制度をどう思いますか」、「比較にならない、日本時代は旅行も自由、仕事も自由、学校も行けた、金のない人であれば師範学校に行けばよかった、身分で左右されたことはない」、「日本に共産党があるのは不思議でしょうがない、日本人は頭が少し足りないのではないか、共産主義の恐ろしさがわかっていない」、「韓国でも最近は容共主義者がいるのではないですか」、「その通りだ。金 大中は共産主義者そのものだ、盧 武鉉もその仲間だ、時代も変わった、おかしな方向へ変わって行っている」 「金さんは親日家ですね」、「知日家だよ」、「韓国では<親日家>とは言えませんよね」、「その通りだ」
 金さんは、正直だ、これも日本時代のお陰だと言う。朝鮮人は「日本時代」を「倭政時代」というが、金さんは「日本時代」という、日本人に敬意を払っているからだという。
 あるとき、金さんが日本の唱歌を知っているかと言う、もちろん知っていますよと答えると自分は海辺で育ったから「我は海の子」が一番好きだと言う。「我は海の子、白波の・・・」、これを歌うと帰れない故郷を思い出すという。こちらも海辺で育ったからこの歌はとても好きだ。ところが途中で間違えた、すぐさま、ダメだな、日本人が間違えるなんてと冷やかされた。習った日本の唱歌は総て覚えているという。「ふるさと」、これに似た歌が朝鮮にもある。「故郷の春」という。これを歌ったところよく知っているな、と言われ、こちらもこれは名曲ですね、私が歌うから、金さんは「ふるさと」を歌ってくださいと頼んで、お互いに相手の故郷を偲ぶ歌を歌った。
 こうして日本を忘れない人がだんだんいなくなる。そのときは日朝関係はどうなっているだろうか。「日本時代」を全く経験しなかった朝鮮人が反日を唱える。とてもおかしな国だ。  (目次に戻る)

(24)女性の地位

 朝鮮では女の地位が低いと言われるが、実社会においてはそうでもない。
 日本の「教育ママ」にあたる「チマ パラム」が席巻し、「遠征出産(ウォンジョンチュルサン)」も韓国での徴兵忌避の目的でなされる。総ては女性、いや、母が行う。
贈収賄事件に女性が絡むのも韓国の特徴だ。韓国のニュースを見ても女性が汚職事件の主導的地位にあるとは決して珍しくはない。そう言えば、「金 正日」に金剛山観光を斡旋すると言って多額の金を騙し取ったのも女性だった。女性が<おしとやかである>などということは韓国では通用しない。「ヌンチがないー目鼻がきかない」と言われて夫にも夫の実家にも馬鹿にされる。
妻が夫に蓄財を強要したり、自ら「骨董夫人」、「福徳房〔不動産屋〕夫人」となって蓄財に励んでいる。「全 斗煥大統領」の妻もこれで有名だった。税務署の職員の妻が夫に蓄財を迫るなどというもの日常茶飯事だ。「盧 武鉉大統領」の妻も不動産疑惑が囁かれている。
 小学校(初等学校)の教員の妻が家を建てろと迫るのも珍しいことではない(韓国ではこれを「賄賂社会」とは決して呼ばない、「寸志社会」と呼ぶ)。
それと韓国では子供と母親のつながりがとても深い。大学入学試験には母親が同行するのは常識だ。韓国で徴兵した若者を慰問する番組があるが、そこにはいつも母親が参加し、子供と抱き合って双方が泣き崩れる風景が見られる。母も子離れしないし、子も母離れしない、見ているととても幼稚な社会の感じだ。
韓国の女性はキツイ。韓国女性と結婚している日本人男性の方、どうですか。
 それゆえ、韓国人男性の中では、日本人女性との結婚願望はとても強い。
 これ、日本人女性に対する迷信だと言っておりますが、どうでしょうか?  (目次に戻る)

(25)男子願望
 韓国では、生れて来る子供の男の比率がとても多い。そうです、女とわかったら堕胎してしまうからだ。
日本統治時代では、出生比率がほぼ男子101.76対女子98.24くらいで推移していたが、1955年には男子103.22対女子96.78となり、昨年は男子107対女子93となっている。
そのうち、全部、男しか残らなかったなんて?
 朝鮮の「姓」は、男系血統の同族集団の記号だが、このような悪弊を是正するために、日本が「創氏改名」を導入したのではないかと? 考えてしまう。
 韓国のこのような制度がなくならない限り、とうてい是認できない「女児堕胎」は続くと思う。
 そうそう、韓国では「石女」とは、男児を生むことのできない女性も含まれる。
 これまで、韓国の女性は強いとの話をして来たが、それは男児を生んだ女性であると訂正しなければならない?
 ご承知のとおり、祭祀は原則として長男が行うのが原則なので、男児が生れないと祭祀を行うことができなくなる。他の姓(慶州金氏は慶州金氏からのみ養子をする)からの養子はできないから問題は深刻だ。でも、韓国でも女児しかいない家庭が増えて来ている。
私がいつもお世話になる「金」さんもその一人だ。こちらも遠慮があるから、あまりその話には触れないようにしているが、夫の母は不満のようだ。嫁に男児が生れないということも嫁と姑の確執につながる面もある。
 韓国も時代が変わってくることを望む。婿養子という制度のある日本はとても合理的な民族だと思う。
 一度、「日本時代」の「創氏改名」のときに「婿養子制度」を導入したが、上手く行かなかった。
 朝鮮の「姓」の制度は「李氏朝鮮」からの悪弊で、この血縁主義が発展を妨げていると考えており、是正しないかぎり「棄児大国」、「堕胎大国」、「難民拒否大国」、「脱北者受入拒絶国」の汚名から逃れることが出来ないと考える。
今、引退が囁かれている盧 武鉉大統領も清廉潔白を謳い文句に当選したが、実兄・妻が不動産を不正に取得したとして騒がれている。この血縁利己主義から逃れるのは難しい。他国家の制度を批判するのも何だが、やはり、気になる。
 私は「日本時代」の「創氏改名」はある面では合理的といえる制度を持ち込んだもので、とても評価できる側面を持っていたと思っている。               (目次に戻る)

(26)男子願望(2)

 男子が生まれないとどうするのかというと妾を作る。しかし、妾の産んだ子供は庶子であるから、科挙の試験を受けられなかった。当然「両班―貴族」にはなれない。李氏朝鮮時代の粛宗の時代(1661年-1720年)には全人口の過半数に迫る状態となった。仕官の道を閉ざされた庶子は差別の撤廃を求めて王に直訴するという事態がひんぱんに起こり、英宗は1772年、通清(要職への登用)を許可するとの教書を下した。しかし、庶子に対する差別はなくなることはなかった(これについては韓国歴史講座で詳説する)。そのようなことから、庶子の通清運動は収まることがなかった。
 そこで、考え出されたのが「シバジ(代理妻)」という制度である。つまり、妾にするのではなく、「シバジ(代理妻)」に男の子を産んでもらうのである。ところが、男が生まれればよいが、女が生まれる確立も半分だ。その際は金(田が多かった)を渡してシバジに女の子を引取ってもらう。もちろん念願かなって男の子が産まれたら夜中にその子を屋敷内に密かに入れて、妻の産んだ子供とする。そのために、妻は子供をはらんでいるように腹に綿を詰めたりして偽装する。まるで漫画の世界だ。男の子を産んでくれたシバジには大枚を払う。そのシバジは男の子を産んだということで名が上がり次の「両班」の客がつく。生まれた女の子はもちろんシバジとなる。シバジ村があったのである。この辺の事情を知りたい方は「シバジ 林 権澤監督―1986年製作」という映画をご覧になるとよい。大きなビデオ屋にはある。
 シバジ、今から1年前に韓国でシバジに無事男の子を産んでもらった在日朝鮮人を知っている。現在でもあると思う。              (目次に戻る)

(27)朝鮮人の呼び名

 韓国は、「血」のつながりをとても大切にする民族だ。
したがって、肉親間の呼び方がとても複雑で難しい。
 「オッパ」とは、妹が兄を呼ぶときの言葉で、弟が兄を呼ぶときは、「ヒョン」、あるいは「ヒョンニム-ニムは様にあたる尊敬語」という。妹が姉を呼ぶときは「ヌナ」、弟が姉、姉が弟を呼ぶときは「トンセン」と呼ぶ? 父の姉は「コモ-正確にはクンゴモ」といい、母の妹は「イモ-正確にはチャグンイモ」と呼ぶ。その他にも色々あって難しい。これは、朝鮮が血縁社会であることを意味するものだとされる。朝鮮語を習うときにぶつかる壁だ。
 ところで、朝鮮で人を呼ぶときの法則がこれまた難しい。すぐこの前、韓国人と話す機会があって、質問して見た。
 例えば、「安 鐘元」という父と「都 桂恩」という母、「安 純男」という子供がいるとしよう。
 そこで、他人の私がこのお母さんを呼ぶときは、「都 桂恩」氏、あるいは、ミセス「都 桂恩」と呼んではいけないそうだ(大変失礼にあたる)。
 「純男 オンマ(母)」と呼ばないとならないという。父もやはり「純男 アボジ(父)」と呼ぶそうだ。ただ、初対面のときは、「安 鐘元」氏と呼ぶしかないようだ。
 親しくなったら、名前をそのまま呼ぶのは失礼だという。韓国に行ったら、子供の名前を覚えよう。そうでないと、人の名前も呼べない。
 朝鮮には日本の「サン」にあたる言葉がないので、不便だ。
 かように、近いという朝鮮でもこの有様で、他の国の風習を理解するのは、とても難しい

 皆さんが、尊称について知識を披露しておりますので、こちらも急遽、順番を飛ばして投稿いたします。何しろ朝鮮のことしかわからないのですから。なお、私は朝鮮に関してはかなり知っていると自負しておりますが、何しろ(チンチャー本物(帰化したという意味でない))日本人ですので、誤りもあろうかと思います。そこで、このシリーズの原稿は日本に最近来ました韓国人に確認した上で投稿しております。その韓国人は恥ずかしいとは言うものの別に私に反感を持っていないと言っております。   (目次に戻る)

(28)売春天国(1)

 朝鮮人は、日本が生娘を拉致して「(従軍)慰安婦」に仕立て上げたという。
 これを聞くと、朝鮮には売春婦などは全くいなかったと考えてしまう。これは大嘘だ。
 妓生(キーセン)は新羅時代からあり、実態は売春婦であった。これが「官婢」として制度化されたのが高麗時代の初期である。国に所属していた奴隷の「売春婦」である。この時代には「貢女(コンニョ)」として支配していた元に捧げられた。全国津々浦々から生娘を拉致したと言われる。用済みになると返されたが、これを「帰順女(キスニョ)」呼んで蔑んだ。
 この制度はもちろん李氏朝鮮時代にも受け継がれた。全国で常時3万名位はいたといわれている。府(現在の市)には70名位、郡には40名位、県(現在の町)には20名位おかれていた。「妓生」は「行首妓生(妓生取締官)」の下に統率され、逃亡などは厳しく罰せられていた。「妓生」の娘は<奴婢随母法>によって「妓生」となった。代々「妓生」から逃れることはできなかった。
 もちろん、日本統治時代にもこの制度は廃れることはなかった。これを取り仕切っていたのも朝鮮人が圧倒的に多かった。朝鮮は北に美人が多く「平壌アガシ(娘)」といってとても珍重された。平壌などでは「妓生養成所」が置かれていた。もちろん、朝鮮人が管理していた。
「(従軍)慰安婦」は新聞などでも朝鮮人によって募集されたが、ほとんどが「妓生」から慰安婦となったのである。つまり、職業として「妓生」から「慰安婦」に移行しただけである。日本が生娘を拉致して「(従軍)慰安婦」に仕立て上げたという例は唯の一つもなかったのである。
また、朝鮮総督府が募集したこともない。
 何故に、「貢女」のことを秘している。これ、「慰安婦」ですよ。   (目次に戻る)

(29)売春天国(2)

 現在、韓国に売春がないというのは真っ赤な嘘だ。もちろん、売春禁止法は存在する。
 売春街は全国いたる所にある。韓国で売春街を「紅灯街(ホトゥンガ)」と呼ぶ。テクッサス(TEXAS)とも言う(由来は長くなるので省略する)。私が訪れたのはその内3箇所である。今から10年前と3年前に見物に行った。そこは国鉄「清涼里駅」のまん前にある<清涼里(チョンヤンリ)588>だ。飾り窓(紅格子)の形式になっている。女がガラスの箱に入っていると思えばよい。日本人の客も多い。値段は交渉したことがないから知らないが、腕次第であるという。24時間営業している。女性は昼夜交代制と聞く。ここはソウル駅から地下鉄1号線で9つ目で15分足らずで着く。住所は「ソウル市 東大門区典農洞」である。
 次は、弥阿里(ミヤリ)である。ここは朝鮮戦争当時、金 日成の軍隊がソウルから撤退するときにここの峠で、知識人・キリスト教徒をたくさん殺したところだ。この様を歌った「断腸の弥阿里峠」年配の人なら誰でも知っている。ここが今や売春街だ。ここで殺された知識人・キリスト教徒も浮かばれまい。ここはソウル駅から地下鉄4号線で10目で15分足らずで着く。駅は「吉音(キルム)で、住所は「ソウル市 城北区下月谷一洞」である。形式は「清涼里588」と同じだが、少しうらぶれた感じがする。ここでは日本人を見かけなかった。
 もう一つは「龍山」だ。ここはかっての朝鮮軍司令部があったところだ。今ではアメリカ軍の司令部がある。ソウル駅から地下鉄4号線で「吉音」と反対の3つ目の「新龍山(シンヨンサン)」で5分足足らずで着く。もちろん、駅前にある。ここには秋葉原のような電気街があるから、そちらに向かわないようにお願いしたい。ここはアメリカ兵の客が多い。
もちろん、飾り窓(紅格子)の形式だ。
 綺麗なお姉さんたちが拝めるから、ぜひ訪れていただきたい。    (目次に戻る)

(30)売春天国(3)

 売春街はそのほかにもソウルにたくさんある。
 売春できるのは、「紅灯街(ホトゥンガ)―売春街」だけでない。
 「茶房(タバン)―喫茶」、「理髪所(イバルソ)」、「按摩施術所(アンマシスルソ)」、
「旅館(ヨガン)」、「クラブ」、「バー」、至る所にある。女には不自由しない。韓国に行ったら間違っても床屋に行ってはならない。いや、期待して行ってもよい。
 「紅灯街」にしても飾り窓(紅格子)の形式であるから公認だ。売春禁止法などどこ吹く風だ。きっとサバサバでもっているのだろう。
 ところで、韓国のマスコミの売春に関する報道を拾っていったら、政府の調査で韓国の売春産業の規模は26兆6000億ウォン(約2兆8600億円)にものぼり、国内総生産(GDP)の5%に当たるという。そして、売春に従事する女性は26万人、満20歳から34歳までの女性の4%に当たるという(文 キョンラン記者 2003.02.06)。
これには驚いた。日本の資料を持ち合わせていないから比較できないが、遥かに日本を凌駕していると思う。
韓国の売春産業が廃れることはない。このままドンドン頑張って欲しい。応援歌を送りたい。韓国は景気がどん底だから、せめて、売春産業だけでも頑張って欲しい。
 飾り窓(紅格子)のお姉さんたち、日本にだけは来ないで。後世、慰安婦とし日本に徴用・拉致されたと言われちゃうから。               (目次に戻る)


(31)売春天国(4)

 日本大使館前では毎週水曜日に、元(従軍)慰安婦たちが支援の女性運動家たちと抗議行動を行っている。「紅灯街」撲滅運動でもやったらどうだ。<櫂より始めよ>だ。
 それと、ベトナム戦争時に韓国軍がベトナム人に産ませてそのまま捨てて来た孤児が1200人もいるという(ベトナム訪問時に国家公務員から聞いた)。この孤児たちが韓国人の父に認知を求め韓国で裁判している。一部のキリスト教関係者が支援しているが国民が盛り上がらない。もちろん、韓国政府も韓国軍部も知らぬ顔だ。
 慰安婦、兵の性を上手く管理していたのではなかろうか。韓国軍の棄児と比べて禍根を残さなかったという点で良かったのではなかろうか「軍隊と性の問題」は永遠に解決しない問題だと思う
 それと、日本で「(従軍)慰安婦」問題を騒ぎ立てる者に言う。「(従軍)慰安婦」は遥かに日本人の方が多かったのだ。これを何故問題にしない。また、ベトナム棄児、そして売春天国・大国<韓国>の実情に何故目をつぶる。「貢女」、これ哀しいかな朝鮮の伝統ですよ!

 以上、「売春天国・大国<韓国>の実情」を説明して来た、何やらソウル売春街案内になってしまったようで、これ以上詳説すると法学の専門はどうしたと言われ、尊敬する宮塚利雄山梨学院大学教授のようになってしまうので、筆を置くことにしたい。朝鮮のことならどんなことでも興味がある。まさに朝鮮オタクであり、家でも???で孤立している。
 なお、この辺のことに興味がおありな方は「定本 韓国全土色街巡礼  リチャード起亜 
自由国民社発行」を買い求めて韓国に持参されることをお勧めしたい。私も自分の情報が謝っていないか確かめるためにこの本を利用させていただいた。       (目次に戻る)

(31)人身売買

 韓国で<人身売買>が横行しているというニュースを聞いて驚いた。
 1990年前後には、韓国で盛んに「人身売買」が報道されていた。その頃、韓国に行く機会があって、日本での留学生から妹に届け物をして欲しい(朝鮮人は気軽に人に物を頼む)とのことでそれを預かり、ソウルのホテルの喫茶店でその妹さんに会い、そこで別れた。ところが後で電話がかかって来て苦情を言われた。どうして、妹をホテルの入り口まで送って乗車したタクシーの番号を控えなかったにかと。聞いて見たらタクシーの運転手がお客を拉致し、人身売買するケースがとても多いことだと言う。こちらはそんな事情を知らないし、しかも、乗車したタクシーの番号を控えるなどということは考えもしない。
日本に帰ってから韓国の報道を見ると確かに「人身売買」が横行しており、50代の女性も被害者となっていたことも知った。
 この<人身売買>のこともすっかり忘れており、その後10年余も経ったのだから、韓国には「人身売買」などないと考えていたが、今度は韓国に入国したフィリッピン人を監禁して売春させたという報道に接した。早速、身近の韓国人留学生に尋ねたが、まだ横行していると言う。夜など怖くて歩けないそうだ。
 報道では、韓国はアメリカの国務省から「人身売買人権3等国」との評価をされ、このフィリッピン人監禁事件は国際移住機関の本部にまで報告されたという。     (目次に戻る)

(32)朝鮮における「近親婚」

 朝鮮人のなかで、日本人に「障害児」が多いのは、「近親婚」が多いからだと力説している者がいる。「同姓不婚」の原則が確立されているからだという。
 さて、朝鮮のことだ。朝鮮の「新羅時代」には、日本の「万葉集」にあたる?「郷歌(ヒャンガ)」というものがあり、多数存在したが、現在、15首くらい発見されている。これがなぜ残っていないかというと、このほとんどは「兄妹愛」、「姉弟愛」の歌なので破棄したともいわれている。この真偽はともかく、この時代(もちろん、この前の時代‐三国時代も)には盛んに「兄妹婚」、「姉弟婚」が行われていたようだ。近親婚が行われなくなったのは朝鮮に儒教が持ち込まれた李氏朝鮮時代からだといわれる。「同姓不婚」の原則が確立されたのもこの頃だ。「同姓」というのは、同じ本貫を持つ者の集団だ。朝鮮の本貫は「管理人」さんのご指摘のとおり支那の縦型共同体「宗族」が根源とされている。「金海金氏」と「慶州金氏」は「同姓」ではない。婚姻は自由である。「異姓不婚」の原則はないと思われるが、一つだけ例外があると記憶している。「金海金氏」と「金海許氏」だ。
 もちろん、朝鮮にも「障害児」が日本と同じくいる。特に少ないという記録はない。同姓不婚」の原則とは全く関係がない。
 問題は日本以上に差別が激しいことだ。「平壌」では障害者は居住できないといわれている。そういえば、「平壌」では障害者を見かけたことはなかった。
 韓国でも差別が激しい。嘘だと言うなら昨年ヒットした(日本でも上映された)「オアシス」という映画を見たらよい。障害者の女性を半ば強制的に犯した若者とその女性の愛を描いたものだ。韓国人の障害者への差別感がうかがわれておもしろい。
 なお、韓国の親族は血族(父方の血縁)10親等までだが(日本では6親等)、田舎では15親等(これを「寸(チョン)」と呼ぶくらいまで、親族と考えるようだ。同姓の者すべてが血族というわけではない。
 「管理人」さんのご指摘の<支那の横型共同体「幇」の風習>が根源かは「幇」の知識がないのでわからない。ただ、朝鮮人は、前にも説明したとおり「ウリ(我々)」と「ニム(他人)」がハッキリと分かれているので、横のつながりがとても薄い。              (目次に戻る)

(32)性暴行(強姦?)大国(1)

 韓国では、最近<強姦・強制猥褻>が減少しているという。1998 年には3560件もあったが、2002年には1960件と45%も減っているそうだ(朝鮮日報 2003年8月27日)。朝鮮はかっては性道徳に厳しいといわれて来た。痴漢などもっての外で、さらに売春街が発達しているから、強姦などする必要がないと考えていた。
 そうでもなかった。理由は男性天国、つまり男性なら何をしてもかまわないという風潮にあるのではないか。韓国映画を見ているとそう思われる。少し古いが「あなたが女というだけで金 裕珍監督 1990年製作」は、暴漢に襲われた人妻が被害者どころが周りの人に誹謗中傷を受け、追い詰められて行く様を描いている。
 ところが、韓国警察庁が「朴 鍾煕 国会議員」に提出した国政監査資料によれば、2001 年に発生した性暴行の被害者が9501人、2000年は9775人だったという。先の数字とどちらが正しいのかはわからない。<性暴行>=<強姦・強制猥褻>と考えてよい。韓国のことを研究していると数字の正確性にはとても悩ませられる。同じ年度の統計が2通りあるのもざらで、3つあったものあった。これも「三人集まると四の政党ができる」の例えか。
ところで、この資料では、男性の被害者も多いことに驚く。2001年ではその内、1244人(13.1%)、2000年では、1174人(12%)、2002年1月から7月までの性暴行の被害者5309人の内、755人(14・2%)、である。これが子供か大人かは不明だが、子供とすると、3日に1人、長崎事件のようなことが起きている可能性がある。
 痴漢もとても多いようだ。ソウルの地下鉄1号線〜8号線でも、1998年は79件、1999年は103件、2000年は162件、2001年は626件、と爆発的に増加している。韓国男性もストレスがたまっているのであろうか                          (目次に戻る)

(33)性暴行(強姦?)大国(2)

 それでは、これを日本と比べてみよう。資料は「犯罪白書 平成14年度版(2002年)」である。
 性犯罪を、強姦、強制猥褻に限定した(公然猥褻、猥褻物頒布は除いた)。被害者の統計であるからあるから(韓国の統計も同じ)、公然猥褻、猥褻物頒布を除くのは当然である(これらの犯罪は被害者がいない)。単位は人である。
 平成10年(1999年)
  強姦  1873  強制猥褻  4352(内男性 146)合計   6125
 平成11年(2000年)
  強姦  1867  強制猥褻  5347(内男性 141)合計   7214
 平成12年(2001年)
  強姦  2260  強制猥褻  7212(内男性 290)合計   9672
 平成13年(2002年)
  強姦  2228  強制猥褻  9326(内男性 146)合計  11554

 韓国は人口が、日本の1/3位であるから、先の韓国警察庁の国政監査資料によると、性犯罪は日本の3倍くらいあることになる。世界1、2を争う<性暴行(強姦?)大国>というのもむべなるからである。
 日本も喜んではいられない。性犯罪、特に強制猥褻が著しく増加している。昨今のニュースを見れば理解できると思う。このままでは、韓国に追いつくのもそう遠くないと考える。  (目次に戻る)

(34)拝金主義

朝鮮人は金に汚いと言われるが、金に汚い人は民族を問わず、どこにでもいるものだ。
 ただ、朝鮮人が「お金」に執着するのは、安定した国家を持つことができず、頼るものが自分だけであるという観念にある。IMF危機のときに国民が「金(キン)」を供出したことは記憶に新しい。日本では「金(キン)」など持っている人は少ないが、朝鮮人は普通だ。
 特に李氏朝鮮の時代からは国家は民衆を収奪する機関だった。
 朝鮮人が銀行など国家の基本機関を信用しないのもそこにある。そして、資金を調達するにも銀行などでなく、「私債市場」が多いのもそれにある。つまり、金を銀行に預金して増やすよりも、非公認の「ノンバンク-私債市場」に投資して、儲けようとする傾向が強い
借りる方も銀行などから資金を調達するよりも「私債市場」などから調達した方が手っ取り早い。韓国ではこのような「地下経済」がとても発達している。
 それと国家などを信用していないから、とても納税意識が低い。それを助長しているのが「私債市場」への投資ということになる。「私債市場」は脱税の温床だ
 また、韓国(もちろん在日にも北朝鮮にもある)には、「講」、「契」と呼ばれるものがとても多いのもそこにある。これを大きくしたのが「無尽」であり、近代化されたものが「私債市場」である。
 在日朝鮮人に納税を説くのは不可能だ。脱税した金が北朝鮮を支えている。日本の金が北朝鮮を奈落の底から助け出している。政治家が無策なのも在日朝鮮人から袖の下をもらっているからだと言われる。彼らは日本の金で国を売っているのだ。
 朝鮮人はとても愛国心の薄い民族であるというのが私の考えだ。国旗を振り、愛国歌を歌い、いかにも「愛国心」の強い民族に見えるが、韓国では徴兵忌避が後を立たず、そのため、「遠征出産」も行われ、また、海外脱出が後を断たないことがそれを物語っている。
 「李 会昌」大統領候補の子息が徴兵忌避をして問題になった。国家の大統領になろうとする人でさえそうだから、一般の国民は押して知るべしだ。
 国など信じない。それが蓄財に走る原因だ。IMF危機のときに「金(キン)」を供出したのは庶民で富裕層は供出しなかったといわれる。
 朝鮮人は頼るのは自分および家族そして金しかいない悲しい?民族である。

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(35)
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(36)日韓友好の虚実(1)

 日本では朝鮮を「近くて遠い国」といって、「近くて近い国」になろうなどという人がいるが、日本人と朝鮮人は同じところなど一つもない全く違う民族だというのが実感だ。
 こう言う人を見ていると、何もわかっていないな、思い込みの激しい人だと思う。それとも「日韓友好」を掲げる狂信者?、
顔も違う。娘を韓国に連れていったときに「お父さん、お父さん、韓国人はすぐにわかるよ」と驚いていたが、まさにそのとおりだ。顔が平らで、目が釣りあがり、油ぎっている、日本でも韓国人はすぐにわかる。性格も個人主義で利己的で実利的だ。
ところで「日韓友好」だが、そういえば、サッカ−W杯のときに、「日韓友好」一色だったね。そう叫んでいるマスコミの連中がたくさん、いましたね。
 サッカ−W杯のときに、韓国にいて、ソウル市庁前にも見物に行って来たが、全く、「日韓友好」という雰囲気はなかった。
日本がトルコに敗れたときは、ホットドッグ屋のお兄ちゃんは、ざま見ろ、という感じだったでしたね。「日韓友好」は日本だけのようだった気がした。韓国が勝っての「日韓友好」だったというのが、本当のところだろう。日本のマスコミは「韓国の宣伝機関」だ。 
「日韓友好」などは、自然体で! 何も気張らずともよい。「日韓友好」と気張るから可笑しくなる。
 好きな人がいても、嫌いな人がいてもかまわない。
 日本と朝鮮は、永遠に「近くて遠い国」だ。だから、面白い。  (目次に戻る)

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(46)順 民

朝鮮人は「順民」だ。この「順民」というのは、すばらしい「造語」である。
 朝鮮人は、感情を表に出し、言葉もきついから、激しい民族だと思われがちだが、本当に穏かで、大人しい民族だ。
 まず、言葉についてだが、「ダ」、「パッ」などの破裂音が多いため、激しく聞こえて来る。それと、「罵り言葉」がとても多いため、激しく思われるかも知れないが、日本語には「罵り言葉」が少なく、そのため、すぐに手が出てしまう。その点、朝鮮人は「罵り言葉」をお互いに言っている内に、冷静になり、疲れてしまって、手が出なくなってしまう。殴り合いの喧嘩は、日本の方がはるかに多い。
 朝鮮では人が死んだりすると家族の嘆き様は、日本人の想像を超えて激しいものがある。この前の「地下鉄火災事件」でも見られたが、これは日常茶飯事のことだ。「大韓航空機爆破事件」で、家族が金浦空港で、イスを投げたりして、嘆き悲しんでしたが、いつもの光景だ。また、この事件で、家族が「地下鉄公社」で何日も座り込みをした。あれもそうだ。これは、人に自分はこのように悲しんでいるのだということを見せるための「演技」でもある。父や妻が亡くなり、悲しいのは日本人もアメリカ人も同じだ。韓国人だけが悲しいのではない。
韓国の葬式に、「泣き女」が登場するのもこの意味だ。中国でもこの風習があると聞く。
 朝鮮人は、他国を侵略したことのない「平和を愛する民族」だと言うが、裏を返せば、他国の侵略に唯々諾々として従って来たとも言えるのだ。
この意味で、日本に上手く支配され、その中で、穏かに生活して来たとも言い得うるのではないでしょうか?
 北の国民があれだけ圧制の下で、支配されているのは、このような従順な民族性にもその要因があろうかと思う。                    
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(47)熱しやすく冷めやすい

 韓国で、よく「教科書問題」、「竹島問題」が沸騰すると、日本のマスコミは、韓国のタクシ−が「日本人お断り」のステッカ−を貼って街中を走っていることを報道するが、そんなこと全然ありませ〜ん。日本と韓国のマスコミが煽っているだけです。
この直後に「ソウル」に行って、一般タクシ−(模範タクシ−もある)に乗りました。「技士様、日本人お断りのステッカ−、どうしたの」、「何、あれ、田舎のタクシ−が、それも一台がやっているだけ、売名行為だよ、あんな田舎に日本人が行くもんか」で話しは終わり。
 そうはいっても、朝鮮人は頭がすぐに熱くなる人たちだ。したがって、議論が好きだ。特に政治談議はことの外好きだ。韓国は地域対立が激しいから政治談議も熱が入る。喧嘩に発展することも多い。何でも議論の種になる。<三人寄ると四の政党ができる>人たちだから、議論は止まるところを知らない。サッカーW杯のときも「日韓共催の是非」から「開会式と決勝戦のどちらかが価値があるか」、さらには「日本人選手の体格と韓国人選手の体格の比較」、「サッカーの勝利は精神力によるのか技術力によるのか」、と延々と続く。
 頭が熱くなるということも長くは続かない。そういう問題があったときの対処方法は、こちらも過激に反応するのではなく、亀のように頭を引っ込めているのが一番だ。すぐに、ほとぼりが冷める。とにかく、一般の韓国人はそんなことに関心がなく、日本と韓国のマスコミが煽っているだけだから。
 そうです。反日問題は韓国人の元気の素、元気薬です。韓国のマスコミに煽られた人たちだけのお祭りと考えたらよい。反応するだけ疲れますから、無視、無視しましょう。   (目次に戻る)

(48)性暴行(強姦?)大国(3)

 朝鮮人の日本統治時代の性暴行(強姦など)についての資料について調べていたが、大正12年度の検挙犯罪人の統計を見つけた。善生 永助 朝鮮の人口研究  朝鮮印刷 
大正12年8月20日、によると、猥褻姦淫及び重婚  日本人 49人、朝鮮人 4033人、大正12年度末の朝鮮における日本人と朝鮮人の人口割合が約1対40であったから、この比率は朝鮮人がとても高い(約1対82)。善生永助京城帝国大学教授も「この検挙犯罪人数は、よく朝鮮人固有の性癖と人智の程度を表現している」としている。
 他の犯罪は日本人が多く、内地で食い詰めた者が朝鮮に渡ったと酷評されたが、こと性暴行(強姦・強制猥褻)となると日本人の比率が少ない。
 現在の朝鮮人は日本統治時代からの伝統を受け継いでいるものと思われる。国民性というか「朝鮮人固有の性癖」というものは未来永劫に続くかもしれない。
 これを見ても、現在の韓国の>性暴行(強姦?)大国<はむべなるかなである。
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(49)韓国住宅事情(1)

 韓国では1997年のIMF経済危機よりも景気が悪いといわれている。
 ところが、不動産価格だけは鰻上りだ。それは韓国の特殊な事情にある。
1、韓国では貧富の差が激しい(この要因については前に説明した)。富裕層はとてつもなく、金を持っている。銀行は不景気で金を貸すところがない。勢い富裕層にターゲットを絞る。
2、韓国での銀行の貸出金利は年5%位だ。これに対する預金金利年2.4%位だ。かっては預金金利年24%ということもあったが、今では夢の話だ。したがって、富裕層は銀行になど金を預けない。かといって、株は低迷しており危険もある。
  金は不動産に流れる。韓国は世界有数教育国だ。<馬は済州島へ、人はソウルへ>の昔からの諺とおり、人口の1/3がソウル首都圏に住む。そのためソウルの地価が物凄く高騰する。さらにソウルの漢江の南側の江南地区(カンナムチグ)は教育レベルが高く、学区制のため、そこに住みたいと考える。ソウル市内の不動産価格は東京都と変わらない。江南地区の住宅地域に限っていえば、東京の新宿あたりの1.5倍位なのでなかろうか。
3、こうなると福徳房(不動産―とても良い名前で感心する)夫人の出番だ。<ヌンチ(目鼻を利かせて、あの手この手で不動産を漁る。韓国では不動産購入は「実名制」で他人名義を借りてはならないことにはなってはいる。そこが名うてのサバサバ王国だから金あれば何とでもなる。<上に政策あれば下に対策あり>だ。
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(50)韓国住宅事情(2)

 買い漁った不動産をどうするのかというと転売はしない。これはさすがに最近ではうるさくなっている。賃貸するのだ。日本のように東京中心部の不動産の供給過多のために空室が大量に出現したり、家賃が下がるということは先の理由からない。いくら建築しもソウルでは余ることはない。
 韓国の不動産賃貸については日本と異なり独特の制度がある。「伝貰(チョンセ)」だ。これは、賃借する不動産の価格が1億円だとするとその1億円を家主に預ける。家賃はタダだ。家主はその預かり金を投資などに使かい家賃相当額を稼ぐ。これに対する月ごとの家賃をもらうのが「月貰(ウォルセ)」だ。かってのように預金金利などが高かったときは「月貰」などする家主は少なく(日本人など短期間しか滞在しない者はこれが多かった)、「伝貰」がほとんどだった(家主が投資に失敗して賃借人が出るときに預かり金を返せなくなるという悲劇も数多くあったー家には銀行の担保が付いているし、預かり金は帰らない。賃借人の泣き寝入りとなる)。                       (目次に戻る)

(51)韓国住宅事情(3)

 ところが、今は先の事情から預金金利も安く、株も低迷して危険だし、私債市場も危険だ。したがって「伝貰」などできない。「月貰」ならばソウル市内であれば15%〜20%は稼せげる。
 かくして、不動産投資は隆盛となる。銀行も企業に貸せるよりも安全だから不動産投資に向かう。バブル?日本と事情が違うからない。
 国民総福徳房と化す。「盧 武鉉」大統領の実兄、妻も例外ではない。<拝金主義>もここに極まりだ。
 富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる。絶対貧困層(保護を受けなくては生きて行けない)が国民の12%もいるという話もある。とてもいびつな社会だ。
 教師になるなら小・中学校がよい。大学などもっての外だ。
 韓国では外国人が不動産投資をすることは難しいので、名義を借りて不動産投資をしたらよい。皆さん、今が絶好の機会ですよ!         (目次に戻る)

(52)銭 湯(1)

 銭湯、これは日本人が持ち込んだものである。朝鮮人は風呂に入る習慣がなかった。不潔というと語弊があるので、乾燥していて汗を掻かないため、行水で済ませ、風呂に入る必要がないということにしておきたい。確かに、韓国の一般家庭に行くと湯船はあるが、年中、シャワーですごす人が多い。湯船にゆったりと浸るという習慣がないようだ。
 韓国では「銭湯」を「沐浴湯(モギョクタン)」という。素晴らしい造語ではないか。
 韓国に行かれたら、是非とも「沐浴湯」に行かれたい。値段は5000ウォン(約500円)くらいだ。煙突とマークですぐにわかると思う。マークは日本と同じだ。ただ、マークは「連れ込み旅館」か「ラブホテル」も同じだから注意されたい。もちろん、こちらに行かれるものよい。可愛こちゃんを紹介してくれる。
 この「沐浴湯」、日本と違い営業時間は早朝4時ころから夜7時、遅くとも8時までである。仕事から帰って風呂というわけには行かない。仕事に出かける前に「沐浴湯」に」ゆくという習慣が定着している。夜に行きたいなら、独立した「サウナ」に行くしかない。もちろん値段は高い。値段の差は大きいが、安い方でも20000ウォン(約2000円)はすると思う。      (目次に戻る)

(53)銭 湯(2)

 「沐浴湯」は日本人が持ち込んだものなので、造りは日本と似ているが、男女は別々で番台の人が両方を見ることはできない。仕切りが厳重になっている。ビル形式になっているのものは、1階に受付、2階が男用、3階が女用となっている。
 中では牛乳やジュースを売っている。囲碁や花札(花闘(ファトゥ)をやっている人も多い。日本とは社交場の雰囲気だ。変わっているのは必ずといっていいほど「床屋」が内部にあることだ。これは女性のサービス付きの「退廃床屋」ではない。上も下もスッキリする場所だということだ。サウナも内部にある。
 浴場は喧騒そのものだ。入る人が朝鮮人なので様相は全く異なる。フルチンで前を隠す者など誰もいない。まるでチンレツ大会だ。こちらもチンが人によってこんなに形が違うものとは思わなかった。身体、頭を洗うにしても湯が隣の人にかかることを気にする人など一人もいない。
 身体を洗っていると隣のおっさんが手拭に石鹸を塗り、それを通路のタイルに敷いて突然、身体を仰向けに横たえて動かして洗っている。もちろんチンが上を向いている。座ったままで手拭で身体を擦ればよいと思ったが、それは通用しないらしい。振り返る人もいない。これを2度ほど見たので、当たり前のことのようだ。
                             (目次に戻る)

(54) 銭 湯(3)

 三助もいるが、子供や若い者を捕まえて背中を擦らせている者も多い。こちらも若いときに年配者から背中を擦すれと言われてやったことがある。真面目に力を入れてやれと怒られた。朝鮮語を話していても発音が可笑しいのか日本人とすぐにわかるから、日本人も軟弱になったものだと馬鹿にされたこともある。朝鮮人は態度がでかいから、背中を擦っているこちらの方が小さくなっている。何事も年長者には逆らえないから致し方ない。代わりに年長者がこちらの背中を擦ってくれることはない。若造が背中を擦るのは当然の雰囲気だ。
 ところで、朝鮮人は「垢すり(テミリ)」がとても好きだ。人の垢とはこんなに多かったのかと思えるほど垢を擦る。見ていて気持ちが悪くなるくらいだ。「垢すり」はとても力が要る。だから手を抜くと叱られるのである。こちらは「三助」じゃないから、できないなどという言い訳は通用しないのだ。
 もちろん、「垢すり台」が設けられている。「三助」がやってくれるが、前を隠して横たわたっりしないので日本人には抵抗があるかもしれない。           (目次に戻る)

(55) 銭 湯(4)

 話好きが多く、遠慮がないから、すぐに議論になる。これはこちらだけではない。特に政治の話が好きだから、議論が沸騰して喧嘩に発展することも多い。こちらも政治学科の出身だから政治には関心があり、日韓政治比較論にまで話が及ぶ。
 教科書問題で紛糾しているときでも風呂桶でぶん殴られたこともない。罵倒されたこともない。日本人、もちろん、日本統治時代の話になる。こちらも負けてはいない。他の人のように喧嘩にまで発展したことはない。喧嘩になるほど朝鮮語が上手くないということかもしれない。助け舟を出してくれる人も多い。ところで、日本人となると必ず「混浴」の話が出る。皆、羨望の眼だ。「日本で一般に混浴などない」と言っても信じてもらえない。高麗時代には混浴があったそうで、朝鮮人は混浴の話が好きだ。
 本当に日本に関心がある。日本の漢方薬は偽物が少ないからと言って買って来てくれ、化粧品を買って来て欲しいと名刺を渡されたこともある。朝鮮人は簡単に人にものを頼むから気にしなくてよい。頼んだこともすぐに忘れるから。
 いろんな話が聞けて本当に普通の人の日頃の考えを聞くことができた。風呂から上がって着替えていると、さっきはご苦労と栄養剤を差し出してくれる人がほとんどだ。朝鮮人はとても優しい。
                             (目次に戻る)

(56)銭 湯(5)

 最近では、サウナに変わって「沐浴湯」がとても少なくなった。「沐浴湯」がダメなら「サウナ」でもよい。「沐浴湯」の雰囲気が少しは残っている。だが、「サウナ」では韓国の雰囲気が味わえない。やはり、「沐浴湯」をお勧めしたい。
 「サウナ」、これも歴史は長い。かっては「汗蒸幕(ハンジュンマク)」といった(今でも使われている)。テレビでお分かりの方も多いと思われるが、スノコの下に石を敷き、これを焼いて水を掛けてそこからの蒸気で身体を温め、汗をかくというものだ。最近では女性用に頭から袋をかぶってするという形式が多いが、これは最近のことだと思う。
 女性用の「沐浴湯」に行ったことがないが、人に聞くと同じだという。女性は姦しいから、なおうるさいという。
 裸の付き合いはとても面白い。こういう経験もしているから朝鮮・朝鮮人をよく知っていると自負している。何事も経験だ。「餅は多く食った者が知る」のである。
 できれば、韓国に留学あるいは教鞭を取りたかったが、私の時代では留学する機会(韓国が留学を受け入れていなかった)もなく、残念だったが、機会を狙っている。元々陽気で好奇心が強いから、良い経験ができると思う。子供に留学を勧めているが、韓国には全く関心がなく、誰もウンとは言わない。何事も親の言うようにはならない時代だ。朝鮮に関する莫大な蔵書も死んだら、図書館に寄付するほかない。子孫には一人くらい朝鮮学を専門に学んで欲しいと思うが、孫にも期待はできない。   (目次に戻る)

(57)ケンチャナヨ(1)

 韓国では「ケンチャナヨ」という言葉がよく使われる。これを大阪弁の「かまへん」にあたるという人もいるが、これより幅が広く<どうでもいい>という意味にまで含まれるのではないかと思う。「関係ない(クァンゲ ハジアナヨ)」が変形したものでといわれているから、「どうでもいい」が正しいのではないか。
 韓国で日本統治時代の書籍を買い求めることがよくある(朝鮮総督府、京城帝国大学からのからの流出も多い)。いついつまでに日本に到着するように送ってください、と頼んでも期日までに到着した例がない。
連絡すると案の定送っていない。「いいじゃないですか、送るのは間違いないですから」。
これも「ケンチャナヨ精神」だ。
 この前の日曜日にテレビを見ていたら、1995年の「三豊百貨店(サンプンデパート)」の崩壊事故で13日ぶりに救出された人の奇跡を報じていた。500名以上が亡くなっている。この原因は、手抜き工事、安全管理の欠如、である。事故前日には天井にヒビが入り、これの亀裂が大きくなったにもかかわらず、工事管理士などの避難勧告を無視して営業を続けた結果による。これも「ケンチャナヨ精神」だ。管轄する区の工事監理士が賄賂をもらって違法建築を放置していた事実も明らかになった。これも<人の命などどうでもいい>の精神だ。
 実はその前年にもソウルを横断する「漢江(ハンガン)」に架けられていた「聖水大橋(ソンスデキョ)」が早朝崩壊して多数が亡くなった。
 二つとも「金 泳三」大統領の時代であった。このときの国民の反応がおもしろい。「大統領は運のない人だ」だった。人が二度にも渡り多数亡くなっているのに、頂点に立つ人が<運がない>か、これでは事故が防げるわけがない。
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(58)ケンチャナヨ(2)

 朝鮮人は人が前から来ても避けることはしない。したがって、ぶつかることが多い。その場合でも「すみません」はない。ただ、腹を立ててはならない。こちらがぶつかっても「すみません」は言わなくてよい。韓国語を教えていただいた先生が日本に密航して来て、電車に乗り、人の足を踏んで「すみません」と言えずに「どうも」と言って睨まれて、次の駅で急いで電車から飛び降り逃げたという話を聞いて、当時は事情がわからなかったが、今になって考えると、さもありなんと思う。
 また、水原で同行した人がバス停で<くわえタバコ>をしていて人の手の甲にあたった。その人は青くなり、こちらも大変なことになったと思い、一緒に急いで謝ったが、その人、痛いといったきり立腹した様子はなかった。<くわえタバコ>をしていた人、韓国人は腹が大きいと褒めていたが、これも「ケンチャナヨ精神」だ。これはありがたい。
 韓国でも先進国になるためには、「ケンチャナヨ精神」はダメだ。日本を見習って、納期を守り、輸出製品の欠陥を正そう、とのキャンペーンがよく叫ばれていたが、今はない。言っても無駄なのだ。アメリカでの韓国車が一時、売れたが欠陥が多く、さらにアフターサービスがないため(韓国では商品は売れば終わり、アフターサービスという考えはない)たちまち、売れなくなった。
 「ケンチャナヨ精神」はなくならず、そのため、大事故が絶えてなくなることはない。大邸ビルガス爆発事件、地下鉄火災事件、ソウル郊外の幼稚園児宿泊所火災事件、列挙する暇もない。10人以下の死亡事故、ニュースにもならないのではないか。
 新幹線、数年後には開通の予定だが、絶対に乗車してはならない。  (目次に戻る)

(59)世界は自分中心に回っている

 朝鮮の諺に「他人の宴会に行って梨を持って来い、柿を持って来い」というものがある。これは、自分勝手な者を非難する言葉である。それほど、朝鮮にはこの手の者が多い。
 日本に来て日本人の助けの中で生計を営みながら日本人の悪口を言い、参政権を要求する、日本人にしたら<何んて朝鮮人は厚かましい>と思うだろうが、朝鮮人特有の思考で驚くに当たらない。当たり前のことだ。「良いことは自分のせい、悪いことは親戚のせい」という諺も同じような意味だ。朝鮮人が日本統治時代を評価しないことは、他人の功績を認めない習性にある。
 その上、「処女が子を産んでも言うべき言葉がある」は「泥棒にも三分の理」と同じ意味で、どんなことにも難癖をつけて自分の功績を図るから、議論が成り立たない。「挺身隊」、これは日本に徴用などで労働に来た人たちであるが、総てが「慰安婦」とされてしまい、日本がいくら「工場労働者」だったと言っても聞きもしない。これがとんでもないことになっている。日本に徴用などで労働に来た人たちが<売春婦>とされ、子供、孫に日本にいたと言えない雰囲気となっている。日本の在日朝鮮人の女性が蔑まれるのは、ここにも原因がある。在日朝鮮人も強制連行を非難しているうちに、災いが自分に降りかかって来た訳だ。>ざま見ろ<というより<気の毒>なってくる。まあ、<自業自得>か。
 朝鮮人を知るには<諺>が一番だ。朝鮮人の気質を知らないととんでもない誤解を生むことになる。

                               (目次に戻る)
(60)ぶったくり

 朝鮮では<ぶったくる>ことを「パガジ」という。「パガジ」とは、丸い瓢箪を二つに割って中をくり抜いて、水を飲むときの「柄杓(ひしゃく)」がわりに使うものである。
 朝鮮での商売は『定価販売』というものがなかったので、物を買うには商人との駆け引きが大切だった。もちろん、商人は「パガジ」するから、買う人も必死だ。買い物には時間がかかり、暇人でないとできない。こちらは物を値切って買うということができないから、いつも商人に負けてしまう。
 韓国から来た朝鮮人が買い物をしたいというので、東京新宿の「伊勢丹デパート」に案内したことがある。朝鮮人が買いたい物を値切ったのだ。こちらは恥ずかしくて顔が赤くなったが、仕方なく通訳してあげた。何と「伊勢丹デパート」が10%値引きした。
 日本では馴染みであれば値引きするが、韓国では酒場などではかえって高く取るといわれる。これは<馴染み>だから店の現状を考えてくれるので高く払ってもらってもいいだろうという<甘え>なのである。
 韓国は<甘え>の国である。納期が遅れても、商品に欠陥があっても<許されるだろう>、かって、「現代」の乗用車がアメリカなどで日本車よりも安いというので爆発的に売れたが、故障が多いので保険料が高くなり、日本車と大して価格が変わらなくなり、その上アフタービスも悪いのでたちまち在庫の山となったことがあった。これでは国際競争には勝てない。今では改善されたと思うがどうだろうか。
 日本に対する発言も植民地支配をした日本に何を言っても許されるという<甘え>から来ている面も多い。これは改善されることはない。                 
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(61)日本の唱歌(1)

 「我は海の子」、この作品は、7番までありました。
 7番、「いで大船を乗出して 我は拾わん海の富 いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国」となっております。
 この歌は、明治43年(1910年)の「尋常小学校読本唱歌」に登場したが、戦後、3番までしか歌われなくなり、昭和25年ころからは音楽教科書から外され、ようやく復活したのは平成元年からです。
 この歌には思い出があります。韓国の陸軍大佐とお会いしたときに、日本の唱歌で習ったものは総て知っているということで、韓国の歌も含めて一番好きな歌を歌いましょうと歌ったのが、この歌でした。彼は遠く北朝鮮の平安南道から逃れて<失郷民>となって韓国におり、黄海の海辺にあった故郷を思い出すといつもこの歌を涙ながらに歌うと言っておりました。もちろん、私は知っているのは3番までで(3番までしかないと思っていた)、それも間違い、大佐殿に叱責されました。日本統治時代に教育を受けた方がこの歌の総てをそらんじておられるのに、日本人の私が3番までですら満足に歌えないとは、とても恥ずかしく思ったものでした。
 もちろん、この方は頭脳明晰な方でしたが、日本の唱歌を忘れないよう教えてくださった日本人の音楽の先生に感謝していると強調しておりました。
 このように、日本人が遥うの昔に忘れてしまっていた日本の唱歌を今だに忘れていない
朝鮮人がいることを忘れてはなりません。            (目次に戻る)

(62)日本の唱歌(2)

 「蛍の光」、この歌は、明治14年(1881年)の「小学校唱歌集」に「蛍」として掲載されたもので、曲はイギリスの古い民謡で、歌詞が付けられましたが(Auld Lang Syne)、遠い昔を偲ぶ歌で、日本の「蛍の光」とは全く意味が違います。
 この歌は、3番、4番がありました。
 3番  「筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 海山とおく へだつとも その真心は へだてなく ひとつにつくせ 国のため」
 4番  「千島の奥も沖縄も 八洲のうちの 守りなり 至らん国に いさをしく つとめよ わがせ 恙なく」
 戦前は、4番まで歌われておりましたが、戦後間もなく3番、4番は軍国主義的だとして歌われなくなりました。
 ところが、この度「久保田泰啓」とい方から、4番が「臺灣(台湾)のはても 樺太も八洲のうちの守りなり 至らんくにに いくさをしく つとめよ わがせつつがなく」と日清、日露の戦争を経て、歌詞が上記の通りに変更され、これが、日本時代の台湾においても内地と同様歌われて、いたとの情報をいただきました。
 このように、いつから歌詞が変わったかについては調べていましたが、昭和2年に「新撰模範教育唱歌集成―東京音楽研究会出版」で、「千島の奥も台湾も」となっており、さらに、翌年の「新撰小学唱歌曲集―日本児童音楽協会出版」で、「台湾のはても沖縄も」と変えられていることが判明した(「唱歌」という奇跡十二の物語  安田 寛 文春新書 平成15年10月20日発行)。
 朝鮮では「臺灣(台湾)のはても 樺太も」ではなく、「千島の奥も<朝鮮>も」と歌われていたようです。
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(63)日本の唱歌(3)

 「蛍の光」、この歌は、日本統治を経験した朝鮮、台湾では、現在も卒業式などで歌われております(もちろん、歌詞は朝鮮語、台湾語)。
 韓国では、「東海の水も白頭山も無くなり磨り減るまで(永遠にという意味)・・・」の愛国歌(韓国では「国歌」はない)も日韓併合前から「蛍の光」のメロディで歌われておりました(日韓併合後に反日運動組織によって始めて歌われたというのは誤り)光復節(1945年8月15日)直後も同じでしたが、間もなく新たな曲がつけられました。
 「蛍の光」は、日本から朝鮮に渡った歌でしたが、朝鮮人にとっても馴染みの深い歌となりました。
 「仰げば尊し」も台湾では今でも卒業式で歌われております。韓国では一時歌われたことがありましたが、今では歌うことはありません。子供も知りません。どうしてこんなに素晴らしい歌が韓国で消えてしまったのか、韓国人に尋ねているが知らないと言う。
 「蛍の光」が4番まであることは常識と言ってもよいと思いますが、日本人が忘れても
日本統治を経験した朝鮮、台湾の人たちは忘れてはいません。忘れているのは日本人だけです。
 それと、この4番 「千島のおくも沖縄も 八洲のうちの 守りなり 至らん国に いさおしく つとめよ わがせ 恙なく」という当たり前の歌詞が歌われなくなっている現状に鑑みれば、<千島>も戻って来るはずもないし、国防すらままならない。
 日本は<亡国>に向かっている。             (目次に戻る)

(64)日本の唱歌(4)

 <唱歌>というものがあったのは、アジアでは日本だけです。他の国は「唱歌」が民衆に馴染まず、浸透しませんでした。アジアの唱歌は日本から主として明治時代に移入されたものです。日本の「唱歌」が広まったのは何も台湾・朝鮮だけではありません。中国でもそうです。
 フリッピンでは、第二の都市「ダバオ」にマニラ麻の栽培のために明治時代から移住した日本人がおりましたが、成功し、「日本人学校」を建て、子弟を教育しました。ここでも日本の「唱歌」が歌われ、それが現地の子に伝わり、広まりました。このように日本人が移住したその他の国でも、日本人の子弟に日本の「唱歌」が歌われ、広がって行ったのです。アジアの国では初等教育すら整備されておらず、「日本人学校」は庶民の羨望の的でした。これには「唱歌」が果たした意味が多かったといわれています。
 唱歌が本格的にアジアに浸透したのは、大東亜戦争からです。インドネシア、ビルマでも大東亜戦争中に「唱歌」が持ち込まれ、たちまち、民衆に広まって愛唱されました。他の国でも同様です。
 これを日本の<皇民化>として非難するのは<歌>というものを全く理解していない者の妄言です。文化の中で特に<歌>は感動が伴わなければ承継されません。良いものは良いのです。曲、歌詞が感動を与えないものは自国の<歌>でもすぐに消え去るのです。
 先日もインドネシアの「囁く砂―2001年製作」をNHK衛星放送で見ていましたら、大東亜戦争中で日本軍の雑用係をしていた老人が子供時代に習った「真白き富士の気高さを・・・」を歌っておりました。
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(65)天皇陛下の訪韓(1)

 日本統治時代に教育を受けた朝鮮人は、天皇陛下の名前を第1代から昭和天皇までそらんじている人も多く、実際に朝鮮人から知っているかと聞かれ、教えていただいたことがあります。
 しかし、このような天皇陛下に親しみを感じる人の声は抹殺され、表に出ることはありません。このような方々は<天皇陛下の訪韓>に賛成です。「W杯」のときになぜ天皇陛下はいらっしゃらないのかと言われたことがあります。台湾だけでなく韓国でも今だに<日本語で考える>という人がおります。それはそうでしょう。小学校から(旧制)中学校、師範学校、(旧制)高等学校、大学まで「日本語」で学べば、そうなると思います。特に、(旧制)中学校、師範学校、(旧制)高等学校まで寮生活を送った人も多く、<日本語で考える>のも「むべなるかな」です。不思議とこういう方に「反日感情」がないのです。こういう方々は冷静に物事を考えることができるからでしょうか。
 この<親日・知日>世代はだんだん少なくなっておりますが、このことは忘れないでいただきたいと思います。                          (目次に戻る)

(66)天皇陛下の訪韓(2)

 <天皇陛下の訪韓>となりますと、戦後生まれの「反日」世代はとうてい賛成することはありません。
 不測の事態も考えられますし、朝鮮人に「天皇陛下」のお姿を拝ませるだけ>もったいない<というべきです。さらに、中国の「天安門事件」への国際的非難への緩和を意図した天皇陛下の中国訪問がなれたたこともあり、<天皇陛下の訪韓>が政治的に利用される可能性大です。
 外務省では今だに<天皇陛下の訪韓>を推進する考えを捨てておらず、韓国でも「盧 武鉉政権」が画策している。この死に体の政権にとっては、<天皇陛下の訪韓>が上手くいけば、日韓新時代を歌い上げ功績を誇れるし、<天皇陛下の訪韓>により反日勢力が暴れても、そこに民衆の目を向けさせ、失政を緩和できる。どっちに転んでも良い。
 全くどこの国の機関だか理解しがたい<外務省>の国際感覚欠如だ。<天皇陛下の訪韓>が上手く行ったとしても朝鮮人の<反日感情>はなくならない。             (目次に戻る)

(67)企業道徳

 朝鮮人は、日本統治時代の朝鮮人と日本人の賃金格差を非難する。
 ということは、朝鮮人は今では外国に企業を進出しても、賃金に朝鮮人と現地の人たちとの間に賃金格差は設けていませんね!
 ところがだ、賃金格差どころか、賃金を支払わないでそのまま企業を解散して韓国に戻ってしまうという事件が後を断たない。
 韓国人は、同胞(都合の良いときだけ「同胞」というが、そうは思ってもいない)がいる中国の旧間島地方である延辺朝鮮族自治州に企業を進出させていることが多い。言葉の不自由がないからである。ところが、そこでは暴君のように振舞っている。従業員に暴力を振るうのは日常茶飯事だ。中国の官憲は賄賂自由だから、とがめられることはない。
 ささいなことで賃金をカットする。文句があればすぐさま解雇だから、泣き寝入りすいるしかない。そこにいる朝鮮族の人たちは純朴の人も多いから、彼らを対象にした詐欺がとても多い。延辺朝鮮族自治州で韓国人を信用する者は珍しい。詐欺集団と考えている。
 この12月19(金)の「朝鮮日報」でも、スリランカに進出した企業(韓国が投資件数では世界一、金額では世界4位)のうち半分の50社余が撤退し、台湾など他の国の企業と異なり、賃金はおろか労働者が負担した信託基金なども滞納して逃げ出したケースがあり、6−7社が賃金を払わないで企業を閉鎖し、韓国に逃げ帰った。韓国を訪問したスリランカ労働大臣も問題を提起したという。国恥だと言っている。
 何! こんなこと、日常茶飯事じゃないですか。中国でやれなくなったから、遠い国でやっただけですよ。世界は広い、朝鮮人の悪行を知らない国が多い。まだまだ、簡単に騙せる国は数知れぬほどありますよ!
 それにしても、日本が同じ統治した国でこの差だ。せっかく道徳というものを叩き込んでやったのに、このテイタラクだ。やはり、朝鮮人は腐っているとしか思えない。   (目次に戻る)


[U]在日朝鮮人のための朝鮮歴史講座
(1)朝鮮という国号

「李氏朝鮮」を建国した「李 成桂」は「咸鏡道」の「永興―現在の咸鏡南道 金野」の出身だが、これまでの「高麗」という国号を代えるに際して、中国の明朝の太祖(朱 元璋)」に裁決を仰いだ。その際に提出された国号案は2つあり、「朝鮮―箕子朝鮮の称号」と「和寧―永興の別名」であった。「朝鮮」、「朝が鮮やかな国」であるからこの国号を選んだのではない。これは朝鮮人が後で考え出した知恵である。
太祖「朝鮮」を国号とすることを許したが、国王を名乗ることを許さず「執政(国王代理)―権知高麗国事」の称号を与えた。もちろん印璽もその名称であった。つまり中国(明朝)の属国であったのである。
 新しい教科書を作る会が、教科書を作るにあたって朝鮮は中国の属国だとしたら、韓国および在日朝鮮人などからそうではないとして猛烈な抗議があったが、これは歴史を捏造するものである
 朝鮮が中国の属国となったのは、古来からであるが、歴史的に明らかなのは新羅時代の中国の唐朝の助けを借りて朝鮮を統一してからだと言われる。現在、朝鮮の姓はこのとき唐朝から賜ったものという。
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(2)恥辱碑文

ソウル市の漢江の南の松披区松披洞(ソンパドン)に「恥辱碑」がある。「三田渡碑(サムジョントピ)」とも言う。正しくは「大清皇帝巧徳碑」という。
 文禄・慶長の役(壬辰倭乱(イムジンウェラン)・丁酉再乱(チョンユウチェラン)−1592年〜1598年(中断あり))の後40年も経たない1636年に清国が朝鮮を侵略した。これを「丙子胡乱」という。
 当時は李氏朝鮮王朝の16代仁祖王の時代であった(当時は中国(明朝)から国王を名乗ることを許されていた)。李氏朝鮮王朝は満州族の清国を認めず、満州族を「胡」と呼んで蔑んでいた。
 朝鮮軍は抵抗の間もなく降伏した。仁祖はこれまで蔑んでいた「胡服」を着て、この「三田渡碑」の前に設けられた「受降壇」で清の太祖に向かって9度地面に頭を付けて拝礼を行わされるという屈辱を受けた。1637年1月30日のことである。
 仁祖はこれに留まらず、一方的な和約を結ばされた。その内容は、清の属国となり、王の長子・次男および大臣の子女を清に人質として送ること、日本国との交流の許可などであった。
 李氏朝鮮王朝はそれ以来、毎年、全国から選ばれた妓生と宦官を清国に送るはめになったのである。これが「慰安婦」である。それ以前の元朝にも「慰安婦」を差し出し、あるいは女を連れ去られた。これを「帰順女」という。意味は用済みになった女は朝鮮に帰されたが(帰順)、当然朝鮮では蔑まれ、辱めを受け、一門の恥だとして肉親によって殺されたりしたのである。表現は悪いが「慰安婦」は朝鮮の伝統だ。なぜ、中国に賠償を要求しない「慰安婦制度」は日本統治時代の直前まで行われたのだ。
 このように朝鮮が独立を保ったという時期はとても少ない。さらに李氏朝鮮王朝の官僚などの簒奪にあって国民は窮乏の域にあった。いかに朝鮮国王にまともな者がすくなかったかは「李朝実録」を読めばすぐに理解できる。
当時の状況は、現在の北朝鮮と同じである。それでも反乱が起きないのは窮乏が常態であったからだと思う李氏朝鮮王朝下の国民を奈落の底から救ったのが日本だったのである。
属国でも良いのではないか。それをバネにして国を再建すれば良いのだ。「朝鮮民族は独立心の旺盛な民族過去に属国になったことがない」、などと歴史を捏造するからおかしくなるのだ。
再度言おう。朝鮮は「属国」の連続である。        (目次に戻る)

(3)誰が韓国を共産主義から守ったか

日本統治時代の間島地方(現在の中国の吉林省の朝鮮人自治州延辺地方)・満州の共産ゲリラ(実態は夜盗)の討伐は朝鮮人(正確には日本国籍を有する朝鮮人)が当たっていた。これらの中には「金 源錫大佐」、「白 善ソプ中尉」、「朴 正煕(岡本中尉)」、がいた。彼らは満州軍官学校、日本の陸軍士官学校の卒業生である。そして、北の「平安道」、「咸鏡道」の人が多い。共産ゲリラと称する夜盗も「平安道」、「咸鏡道」の者たちなので、言葉・地縁から彼らが当たったのである。
彼らが「李 承晩大統領」時代の韓国軍の中枢を担っていた。それが親日派追放というから傑作だ。 
 彼らは日本軍・満州国軍に所属したため、日本の軍人とは気脈を通じており、朝鮮戦争(朝鮮動乱)の時のにも日本の軍人の助けを求め、彼らがこれに協力したことは公知の事実だ。
 旧日本軍の彼らがいなかったら、韓国軍の創設は不可能でアメリカ軍を中心とした国連軍だけで朝鮮戦争を乗り切れなかったと思う。特に朝鮮戦争が1953年(昭和28年)に休戦した後も10年近くにわたって共産ゲリラが韓国中部の智異山などに立てもって抵抗をつ続けたが、これを討伐したのが当時の韓国陸軍総参謀長の「白 善ソプ大将」であった。彼の満州などでの共産ゲリラ討伐経験がこの共産ゲリラの掃討に役立ったのである。
 韓国にはいまだに親日派の糾弾運動が盛んで、彼らにもその矛先が向けられているが、彼ら旧日本軍の朝鮮人がいなかったら、その運動家も生きてはいない。また,生きていたとしても真っ先に「金 日成」に粛清されていたよ。誰が韓国を救ったか、こういう反親日派を生かしておいてくれたかを考えたらよい。
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(4)〔補正版〕李氏朝鮮時代と日本統治時代の朝鮮の人口(1)

1、李氏朝鮮時代の朝鮮の人口

@人口の調査方法
  李氏朝鮮時代(以下朝鮮時代という)には、人口などを把握するため「戸籍帳籍」というものが作られており、各戸ごとの申告書(戸口単宇)に基づいて3年毎に作成されておりました。
 申告の内容は、住所、戸主の職分、姓名、年齢、本貫(出自)、父、祖父、曽祖父、母方の祖父の職分と姓名、妻の父、祖父、曽祖父、母方の祖父の職分と姓名、家族構成、使用人、奴婢、でした。
 したがいまして、これを見れば人口がわかるようになっておりました。
 現存する朝鮮時代の「戸籍帳籍」は「山陰帳籍―1603 年、1630年」と「大邸帳籍―1690 年-1849年」です。
 ところで、これらは朝鮮の人口の一部で他の地域の「戸籍帳籍」が散逸してしまっているため全体を推し量ることはできません。朝鮮の人口を把握するには朝鮮時代の王朝が編纂した王朝史である「李朝実録」を丹念に拾ってゆくしかありません。それが次のものです(「李朝実録」には他の時代の人口も掲載されているが、紙面の都合で割愛した)。もちろん、朝鮮王朝も3年毎に作成される「戸籍帳籍」に基づいて人口を算出しております。
A李氏朝鮮時代の朝鮮の人口
1636年     1、521、165人
1666年     4、107、156人
1690年     6、952、907人
1753年     7、298、735人
1837年     6、708、529人
1904年     5、928、802人
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(5)〔補正版〕李氏朝鮮時代と日本統治時代の朝鮮の人口(2)

1、李氏朝鮮時代の朝鮮の人口
この朝鮮時代の人口が正しいかについては、疑問が投げかけられております。
この疑問については、特に朝鮮時代末期の人口と日本統治時代の初期の人口があまり
にも違うことから指摘されています。
 例えば、1906年については980万人であるという見解がありますが(韓国は日本人が作った 黄 文雄 徳間書店2002.4.30発行 による−出典不明)、これは当時の
大韓帝国(1897年に朝鮮から国号を変更)の警務顧問部の日本人の調査によるものと思われます(善生永助 朝鮮の人口研究  大正14年8月20日発行 朝鮮印刷―正確には9、781、671人)。
ところが、その前年の同じ大韓帝国の内務部の調査では5、793、976人でした。
 これについても、12、934、282人と(金 哲 韓国の人口と経済  岩波書店 1965年7月27日発行)とする考えもあり(出典不明)、錯綜しています。
 いずれにせよ、朝鮮時代(大韓帝国も含む)の人口調査は杜撰だったことが伺われます。その理由としては、この時代の人口調査が軍役と課税のために行われていたために朝鮮時代の苛政と相まって調査される側がごまかしたものと考えられております。         (目次に戻る)


(6)〔補正版〕李氏朝鮮時代と日本統治時代の朝鮮の人口(3)

 それでは、前記の朝鮮王朝による人口が全く信用できないかというと、信用できるという研究者がほとんどで(例 四方 博 李朝人口に関する一研究―朝鮮社会経済史研究(中) 昭和52年9月30日発行  国書刊行会、善生永助 朝鮮の人口研究)、信用できないという研究者も朝鮮時代の末期に限ってその信用性を否定しております(例 金 哲 韓国の人口と経済)。朝鮮時代の全てにわたって信用できないという研究者はいないようです。金 哲(敬称省略)は、1800年代から1600万人以上ではなかったかと推測しております。しかし、これも推測の域を出ません。
 前記の人口から朝鮮時代の中期から末期にかけては人口が全く増えていませんが、これは研究者がこぞって王朝の苛斂誅求に原因があるとしております。特に末期の状態については外国人の旅行者がその時代の状況を詳細に著わしております(例 イザベラ・バード 朝鮮奥地紀行 平凡社、ダレ 朝鮮事情 平凡社など)。
なお、1636年の人口が1、521、165人ととても少ないのは、この時代は「文禄・慶長の役」後の国内紊乱で人口の増加が見られないまま、この年には「丙子胡乱―清国の侵略」が起き、調査も充分に行われないことと相まってこのような結果となったものと考えます。     (目次に戻る)


(7)〔補正版〕日本統治時代の朝鮮の人口

1、日本統治時代の朝鮮の人口
1910年    13、128、780人
1920年    16、916、078人
1930年    19、685、587人
1940年    22、954、563人
1944年    25、120、174人
  ※ これらの数には、満州などに移住した人の数は含まれておりません。したがって、1940年と1944年の朝鮮人の人口はこれより多いものと思われます。
なお、満州への人口移動の原因と実態については後に詳述いたします。
  ☆ 資料は、朝鮮総督府統計年表
 日本統治時代の朝鮮の人口については、その信頼を疑う者は日本人・朝鮮人を含めて誰一人としておりません。
 この原因は、日本の善政にあります。この内容については既に研究済ですが、なお検討のうえ投稿いたします。

 なお、学習するに当たっては、朝鮮人(在日朝鮮人も含む)の著した著作は除外した方が良い考えます。反日思想に捉われ資料を自分に都合の良いように引用していると考えられるからです。
さらに日本でも戦後の朝鮮研究は戦前と比べて水準が低いのが実情なので(理由は、贖罪意識に捉われて研究することが憚れた、また、反日家(日本人・朝鮮人、在日朝鮮人)からの抗議を恐れた)、戦前の研究者の著作を中心に学習なされることをお勧めいたします。戦前の研究者の著作で朝鮮の人口に関するものは、前に示したとおりです。                 (目次に戻る)

(7)李氏朝鮮時代の身分制度(1)

 この時代(1392年―1910年(ただし、1897年からは「大韓帝国」であったが、実体は李氏朝鮮時代))の身分制度も高麗時代のものを継承した。
 身分は、大きく「良民」と「賤民」に分かれる。
 「良民」とは、自由民であり、納税、国役の義務を負い、さらに「両班(文班、武班)」、「中人(下級役人、技術官など)」、「常民(農民、商人、職人)」に分けられた。
 「賤民」は「奴隷―奴婢」と「白丁(ペクチョン)(動物の屠殺に従事する者)」、「才人(広大ともいう)(芸人)」、「官妓(役所に所属する酌婦)」、「牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)」、「砲手(猟師)」、「水尺(スチョク)(狩猟民)」、「駅卒(駅の使用人)」、「巫女」、「僧侶」など多岐にわたっていた。
「奴婢」は「公奴婢―国家に所属するもの」と「私奴婢―個人に所属するもの」に分けられていた。
 さらに奴婢は「公奴婢、」「私奴婢」とも「入役奴婢」と「納貢奴婢」とがあった。「入役奴婢」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければならないが、「納貢奴婢」は国や主人から独立の生計を営みながら一定の身貢をする義務があった。                (目次に戻る)

(8)李氏朝鮮時代の身分制度(2)

「奴婢」は売買、贈与、相続の対象となった。つまり、財物として扱われていた。
父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。「両班」が罪を犯し「奴婢」になったり、「奴婢」が軍功などで「中人」、「常民」になったりすることもあったが、極めてまれで身分間の移動はなかった。
 豊臣秀吉の朝鮮征伐(文禄の役(1592年―朝鮮では壬辰倭乱(イムジンウェラン)・慶長の役(1596年―朝鮮では丁酉再乱(チョンユウチェラン))のときに、ソウルの王宮(景福宮)が放火され炎上したが、これは日本軍のものではなく(朝鮮では日本軍が放火したと捏造している)、奴婢が登録簿を滅失させるために行ったものである。日本の名誉のために当時の朝鮮の文書から引用する。「城中を観望すれば、火起こりて煙焔天に漲る。蓋し乱民先ず、堂隷院刑曹を焚く。その公私奴婢の文籍在る所を以ってなり・・・・」(朝鮮史第四編第九巻 宣王25年4月30日)。
 奴婢制度は、1894年の甲午改革で廃止されるまで続いた。しかし、なかなかその偏見は収まらず、現在でも「五姓」といって賎民の子孫とされる「姓」があり、結婚・就職などの障害が見られる。
                          (目次に戻る)


(9)李氏朝鮮時代の身分制度(3)

 李氏朝鮮時代には、どのくらいの「奴隷―奴婢」がいたのであろうか。
 これについては、現存する李氏朝鮮時代の「戸籍帳籍」は「山陰帳籍―1603 年、1630 年」と「大邸帳籍―1690 年-1849年」を分析すればわかる。これらの「戸籍帳籍」は日本人研究者に公開されていないと聞くから(次に韓国に行ったら確認してみる)、専ら、四方博京城大学教授(執筆当時)の「朝鮮社会経済史研究(中)」から引用する。
 「大邸帳籍―1690 年-1849年」は現在の韓国中部の都市<大邸(李氏朝鮮時代は大丘)―韓国第二の都市>の人口調査の帳簿である。そこから、約11の面(村)を選び出して分析を加えている。
1、粛宗16年(1690年)
 両班戸   290戸  常民戸  1694戸  奴婢戸  1171戸  総計 3156戸
2、英祖5年(1729年)、同8年(1732年)
 両班戸   579戸  常民戸  1689戸  奴婢戸   824戸  総計 3092戸
3、正祖7年(1690年)、同10年(1786年)、同13年(1789年)
両班戸   1055戸  常民戸  1616戸  奴婢戸   140戸  総計 2810戸
4、哲宗9年(1858年)
 両班戸   2099戸  常民戸   842戸  奴婢戸   44戸  総計 2985戸
☆ 2、3、は1面の統計がない、したがって、各戸の計は1割減くらいと思われる。
また、王の年代に2つ、3つの時代があるのは、面が年代によってばらばらに分かれて いるからである。
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(10)李氏朝鮮時代の身分制度(4)

 それでは、李氏朝鮮時代の「奴隷―奴婢」の数はどうだったのであろうか。
 「大邸帳籍―1690 年-1849年」からの四方 博京城大学教授(執筆当時)の「朝鮮社会経済史研究(中)」から引用する。調査された面は「李氏朝鮮時代の身分制度(3)」に対応する。
5、粛宗16年(1690年)
両班   1027人  常民   6894人  奴婢   5592人  総計 13912人
6、英祖5年(1729年)、同8年(1732年)
両班   2026人  常民   8066人  奴婢   4940人  総計 15266人
7、正祖7年(1690年)、同10年(1786年)、同13年(1789年)
両班   3926人  常民   6415戸  奴婢   1957人  総計 12300人
8、 哲宗9年(1858年)
両班   6410人  常民   2659人  奴婢   4126人  総計 13195人
☆ 6、7、は1面の統計がない、したがって、各人口の計は1割減くらいと思われる。
また、王の年代に2つ、3つの時代があるのは、面が年代によってばらばらに分かれてい るからである。
                                (目次に戻る)

(11)李氏朝鮮時代の身分制度(5)

この表を見てわかることは、「両班」の異常な増加である。粛宗16年(1690年)と
哲宗9年(1858年)を比較しても、170年間の間に、戸数にして7.23倍、人口にして6.24倍、となっている。哲宗9年(1858年)には、戸数の70.3%、人口の48.5%、となって、<両班大国>の様相を呈していた。支配階級が70%とは異常であるとしか言いようがない。これを見てもいびつな社会であったことがうかがわれる。
 この増加については李氏朝鮮時代にも記録がある。丁 若庸(本当は金偏がつく)[1762-1836]の「牧民心書」、禹 夏永「禹夏永経論」に「両班」の身分を冒称することが盛んに行われていることが記述されており、国の法典の「続(経国)大典(1974年)」の刑法典の公賤条にも「三代にわたって<良人(両班も含まれる)>を冒称する者はこれが認められる」との規定が見られる。また、売官もとても多かった(「増補文献備考―宣祖13年(1565年)、「禹夏永経論」。
「奴婢戸」および「奴婢人口」の正祖7年(1690年)、同10年(1786年)、同13年(1789年の急激な現象は、逃亡、放売(奴婢は売買された)による。これについても「大邸帳籍―1690 年-1849年」に記録がある。哲宗9年(1858年)の「奴婢戸」の現象が顕著であるにもかかわらず、「奴婢人口」が変動していないことは奴婢戸当たりの奴婢人口が増えていることと、奴婢を一まとめにしたものとされる。
 粛宗16年(1690年)と哲宗9年(1858年)を比較しても、170年間の間で、人口が全く増えていないことに驚く。これは李氏朝鮮王朝の苛政である。これはこの地方の特徴ではなく、全国的な特徴である。これについては既に詳説したが、なお再度遺漏がないように調査している。これが日本統治時代になると増加に転じ、大幅な増加となった。もちろん、善政である。      (目次に戻る)

(12)       (目次に戻る)


(13)日本統治時代の朝鮮の人口増加(1)

1、 日本統治時代の朝鮮の出生率と死亡率(単位 %)
 1911年―1915年  出生率 26.34  死亡率 17.24  差増率  9.10
 1916年―1920年  出生率 31.49  死亡率 24.73  差増率  6.76
 1921年―1925年  出生率 36.32  死亡率 20.82  差増率 15.50
 1926年―1930年  出生率 37.52  死亡率 21.58  差増率 15.94
 1931年―1935年  出生率 30.93  死亡率 20.29  差増率 10.64
 1936年―1940年  出生率 32.57  死亡率 18.37  差増率 14.20
 1941年―1944年  出生率 35.38  死亡率 18.50  差増率 16.88

 ☆ 資料  朝鮮総督府 朝鮮人口動態統計   
※ 出生率、死亡率とも各期間中の平均値
 ◎ なお、朝鮮における最高の出生率は、1942年の42.0%である。これは同年から始まった「食料配給制度の実施」と関係がある(金 哲  韓国の人口と経済 P 71 岩波書店 1965年7月27日発行 )。このように食料が行き渡れば人口が増加することが証明されている。

★ 人口の増加率を正確に知るためには、国外に流出した人口も算出して計算するのが正しい。これを自然増加率という。これについて判明したものを次に掲げる(単位 %)。
ただし、推定値である。
  1911年―1915年  10.02   台湾  11.2   日本  14.2
  1916年―1920年   7.45   台湾   8.3   日本   9.5
  1921年―1925年  17.06   台湾  17.1   日本  12.8
  1926年―1930年  17.56   台湾  22.2   日本  14.2
  1931年―1935年  20.77   台湾  24.8   日本  13.7
  1936年―1940年  20.92   台湾  24.2   日本  13.5
  1941年―1944年  25.76   台湾  24.2   日本   8.9

 ☆ 資料  台湾の統計  G・W・Baclay,op,cit,V1
 ☆ 資料  日本の統計  内閣統計局「人口動態統計」

 これを見てわかるように、人口の増加率は1925年までには日本と同じ水準に達し、
その後はこれを凌駕している。             (目次に戻る)


(14)日本統治時代の朝鮮の人口増加(2)

 日本統治時代の朝鮮と台湾の出生粗率を挙げて、これをイギリスの植民地下にあったアジア諸国と比較してみたい。
 「出生粗率」とは、再生産年齢(子供を生むことのできる年齢―15歳〜49歳)が100人当たり何人出生するかという比率をいう。これに対して「出生率」とは、人口(男女、老幼を問わない)100人当たり何人出生するかという比率をいう。
       朝鮮  台湾  インド セイロン  マレー   ビルマ
  1925年  42.8  42.8  33.0  38.5      28.5
  1930年  42.4  45.0  33.5  40.6      24.3
  1935年  42.4  46.0  34.0  37.8      27.6
  1940年  42.2  45.4  33.8  35.6  40.2  32.1
  1944年  41.2  42.1  29.1  36.6  39.4  

 ☆ 資料  台湾の統計  G・W・Baclay,op,cit,V1
       その他    金 哲  韓国の人口と経済 P 71 岩波書店 1965年7月29日発行)
 これを見てわかるとおり、「出生粗率」は日本統治下にあった朝鮮、台湾の方が遥かに良いことが読み取れる。理由はもちろん民生の安定である。

(15)日本統治時代の朝鮮の人口増加(3)

 日本統治時代の朝鮮と台湾の死亡粗率を挙げて、これをイギリスの植民地下にあったアジア諸国と比較してみたい。
 「死亡粗率」とは、再生産年齢(子供を生むことのできる年齢―15歳〜49歳)が産んだ子供100人当たり何人死亡するかという比率をいう。これに対して「死亡率」とは、人口(男女、老幼を問わない)100人当たり何人死亡するかという比率をいう。
           朝鮮  台湾  インド セイロン  マレー   日本
  1920年―1924年  25.7  25.0  26.8  28.9      22.0
  1925年―1929年  25.5  22.1  24.3  24.9      19.4
  1930年―1934年  21.6  21.2  23.7  22.4  21.5  17.9
  1935年―1939年  21.4  20.6  22.6  24.5  20.8  17.3
  1940年―1944年  18.9  18.5  22.6  19.7  20.1  16.1
                             
 ☆ 資料  台湾の統計  G・W・Baclay,op,cit,V1
       朝鮮の統計  金 哲  韓国の人口と経済 P 71 岩波書店 1965年7月27日発行)
       日本の統計  内閣統計局「人口動態統計」
       その他    アジア経済研究所「アジアの人口増加と経済発展」
                          (目次に戻る)
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(18)朝鮮人は、新疆・ウイグル地区の現状に学べ(1)

 新疆・ウイグル地区からの日本への留学生が現在約1000名いる。
そのうち、500名が東京近辺にいる。
 彼らが日本に来る目的は勉学のほか、中国の圧制からの逃避である。ここが他の地域の留学生と大きく異なるところだ。
 彼らは故郷に家族を残しているため、声を上げることができない。新疆・ウイグル地区はウイグル人、韃靼人(タタール人)など多民地域だが、トルコ系の人たちが多い。もちろん、漢民族ではない。言語もウラル・アルタイ語族といわれている。
 この地域は貧しいのではないかという誤解があるが、とても豊かなところだ。地下には天山山脈からの川(カレーズ)が流れ、そこから汲み出した水で豊富な農作物が採れる。ブドウ、瓜(ハミウリ)など果物の美味しさは日本の比ではない。石油も多く算出する。
もちろん、独立しても十二分にやって行ける。
 ところが、石油などの資源は根こそぎ漢民族の中国中央政府が収奪して行く。 (目次に戻る)

(19)朝鮮人は、新疆・ウイグル地区の現状に学べ(2)

 それも大問題だが、文化破壊が酷い。新疆・ウイグル地区には漢民族が70%もいるといわれる。もちろん、移住して来た(移住させられた)のである。そこで、漢民族の中国中央政府がどういう政策を取っているかというと、中国語を話せない者は官庁・公企業に勤務できない(させない)、ほとんどの学校が中国語で授業が行われている。ウイグル語、韃靼語などを話せない者も増えており、子供と老人の会話が成り立たない状況にもなっている。30年後には現地の言語が消滅するといわれる。
 さらに、歴史を漢民族側からしか考察しないので、新疆・ウイグル地区の歴史は漢民族史観となっている。もちろん、蛮族の歴史観だ。自国の歴史を現地の目から学べないという。そのため、新疆・ウイグル地区の歴史は日本で学ぶ他はない状態になっている(日本の方が研究が進んでいる)。こんな馬鹿なことはない。
                               (目次に戻る)

(20)朝鮮人は、新疆・ウイグル地区の現状に学べ(3)

 独立運動が起きるのは当たり前だ。これはテロではない。漢民族に対する抵抗運動だ。
 内蒙古でも全く同じ状況だ。モンゴル語などは消滅の危機に瀕している。「満洲語」、これは日本でしか学ぶことはできない。
 新疆・ウイグル地区、内蒙古からの留学生は中国に戻る人は少ない。研究の自由も就職もないからだ。こちらも彼らの就職運動に邁進している。それと「新疆・ウイグル地区、内蒙古からの留学生」犯罪は全くといっていいほどない。漢民族とは全く違う。彼らは中国人と呼ばれるのを極端に嫌う。皆さんも彼らを中国人とは呼ばないでください。
 チベットからの留学生などに接する機会がないので、知らないが、これと大同小異なのではあるまいか。
 一国二制度、これは漢民族側からの制度であろう。台湾も一国二制度が適用されたら<新疆・ウイグル、内蒙古地区>と同じことになる。
 漢民族の領土拡大主義を抑えないとアジアの安定、ひいては世界の安定はない。

 朝鮮、ベトナムの歴史は漢民族の侵略と属国の歴史である。ベトナムでは「小中華思想」は今ではないが、朝鮮では残っている。<反日はあるが反中がない>おかしな国だ。朝鮮人は歴史を学んでない。
 朝鮮人に告ぐ  あなた方は日本を選択しますか、それとも中国を選択しますか。
 歴史を学ばないと歴史は繰り返しますよ。<新疆・ウイグル、内蒙古地区>と同じことになりますよ。あなたがたの国は地勢的にも独立を保つのが難しい国ですよ。   (目次に戻る)

(21)一進会(1)

 石原東京都知事が、朝鮮人が日韓併合を望んだということについて、韓国政府、日本のマスコミから、非難の声が上がっているが、歴史を学んだことのない者の全くの言いがかりである。これを明らかにするため、順番を飛ばして説明したい。少し長くなるが、日韓併合への道のりを知るには欠かせないので我慢していただきたい。
 朝鮮人が日韓併合を望んだことは朝鮮人の「一進会」の運動を見れば明らかである。
 「一進会」は、日清戦争の発端となった「東学党」の流れをくむ。「東学」とは「西学―キリスト教」に対抗する朝鮮の<学>を意味し、<人乃天>、つまり人間平等と主体性(この思想は北朝鮮の「主体主義」に歪んだ形で利用されているーこれを創造したのが「黄 長Yであるー正確にいえば<創造>ではなく<剽窃>を掲げ)、1860年に結成された(教主崔 済愚)。この運動は李氏朝鮮王朝の圧制に苦しんでいた農民、下層階級に瞬く間に広がり王朝打倒運動となって各地の王朝の収奪下部機関の郡守などを襲い一大騒乱となった(これには日本からもこの思想に共鳴した武田範之などが日本人を集め参加している)。
朝鮮王朝側もこれを弾圧し、教主を死刑にしたが、2代目(これも死刑)、3代目と教主は承継され留まるところを知らなかった。3代目教主孫 ビョンヒは運動を続けたが王朝側の弾圧により1901年に日本に亡命した。ここで彼は日本の明治維新による国家建設に驚き、日本に傾斜して行く。腹心「李 容九」に朝鮮内での運動を託した(李 容九は「進歩会」を結成)。このころ、同じく日本に亡命していた「宋 ビョンジュン」も朝鮮の体制を変革するには明治維新のような国家建設が必要だとして「維新会」を結成した。
                             (目次に戻る)

(22)一進会(2)

 この「李 容九」と「宋 ビョンジュン」の運動が合体して生まれたのが1904年結成の「一進会」である。「一進会」は会員100万人の大団体となった。この「一進会」は日本の傀儡で日本から援助を受けていたという妄言が後を断たない(朝鮮を知る事典 平凡社伊藤亜人など 2000年11月17日 新訂増補)。
一進会の1905年の会計報告を見ても、収入41万円(個人の拠出―14万円、会費―16万円、借入金―11万円)であり、日本からの援助金はなかった。それだけではない。一進会は日露戦争への日本軍に対する支援金25万円が拠出している(万円以下の端数省略)。さらに朝鮮各地での暴動の被害者救援金として15万円も支出しており、たちまち財政難に陥った。そこで、日本陸軍に支援を求め10万円の援助を受けた。それでも日本軍への援助は15万円もの赤字となっていた。
 さて、「一進会」は韓日合邦を掲げ(連邦制、日本の一つの県になるなどの案があった)、運動を進めていたが、折からの「ハーグ事件(朝鮮国王が日韓協約の不当を訴えハーグの万国平和会議に代表を送った事件)」、朝鮮王朝の軍の解散などによる国民の怒りが向けられ、一進会員と王朝派との間に騒擾まで起こった。
地方の一進会員の中には会を背景に住民に威勢を振るうものもいて、朝鮮統監府もこれを持て余し、一進会員を間島地方(現在の中国延辺自治州あたり)に移住させようという計画が起こり1907年には50万円の予算が組まれた(その後26万円に減額)。           (目次に戻る)

(23)一進会(3)

 朝鮮には当時、一進会の他に大韓協会、西北学会(朝鮮の平安道の人が中心で天主教(キリスト教)の人たちも多く参加していた)、国是遊説団、普信社などの団体もあったが、1908年頃になると次第に反日が影を潜め、日本との親密な関係を模索し始めていた1909年10月26日に伊藤博文が暗殺され、曽禰統監は一進会の日韓合併を時期尚早として却下した。1910年9月には一進会も含めた総ての政治結社の解散が命じられ、会員100万名を擁して日韓合併を積極的に推進した「一進会」を切り捨てたのである。
そして、一進会員の間島地方移住計画も実行されることはなかった。
この会員100万名にも上り一進会員は天道教の3代目教主孫 ビョンヒの元に返り、それが反日の渦となって「三・一独立宣言」につながっていったのである。
 これは、曽禰統監を筆頭とする日本政府の失政であった。「一進会」の要望どおりに<韓日合邦>を採り、彼らの運動を理解していれば、「三・一独立運動」はなかったのではないかと考える
 それはともかく1910年の日韓併合当時には、これに反対する政治団体は大韓協の一部に止まった。ほとんどがこれに賛成したのである。              (目次に戻る)


(24)日本統治時代の朝鮮の人口増加(4)

 
朝鮮の人口を調査してみようとしたきっかけは、日本統治時代の朝鮮に始めて近代的戸籍が整備されて人口の動態が判明したので、その時代だけ検証しても朝鮮の人口増加が起きたのかはわからない。さらに、李氏朝鮮時代にも人口が順調に増加していたので日本統治時代に人口増加したのはマヤカシだという見解、李氏朝鮮時代には人口調査も行われなかったという見解、李氏朝鮮時代には戸籍など存在していなかったという見解が、横行していたから、これを糾さなければならないと考えたからである。
 そして、李氏朝鮮時代の人口および日本統治時代の人口を論証したところ、今度は人口は近代になると爆発的に増加するので、日本統治時代の朝鮮の人口増加は自然現象であると指摘した者がいた。そこで、これをイギリスのアジアの植民地の人口増加の実態を示して更なる批判を求めたが、全く反論はなくそのまま消えてしまった。
 さらに、日本統治時代の朝鮮が貧しかったので、人が増えたという情報(日本の朝鮮植民地に関する?反論(2))をいただいた。そうであるなら北朝鮮は爆発的に人口が増えているはずだが、1990年から人口が増えていないという話もある(少なくとも爆発的に人口が増えてはいない)。これも全く考慮にいれる必要のない見解である。
 世の中には色々な人がいて、根拠を示さずに自説を述べるものが多い。こういうものを放っておくと<嘘も百回つけば本当になる>こともあり、妄言がまかり通ることになる。これに反駁するために資料を漁るのも大変な労力が要る。「出生粗率」と「死亡粗率」を比較し、かつアジアのイギリスの植民地と対比して分析したのは自分が最初であると自負している。
 日本統治時代の朝鮮の人口増加は自然現象などではなく、日本の善政であることは信じて違わないが、さらに調査してみたい。ただ、朝鮮人の研究者の日本統治時代の朝鮮の人口増加についての言及はない。都合の悪いことには口を拭っているとしか思えない。具体的な資料を提示してくれて反論してくれれば、こちらもさらなる研究のしがいがあるのだが。             (目次に戻る)

(25)道徳律(1)

 朝鮮人は「人は正しく生きなければならない」というのに対し、日本人は「正しく生きたいと思う」というのではないのかと思う。この二つは雲泥の差があるのと考える。
 朝鮮人の思考には常に道徳性が優先する。日本人はこれに対し「正しく生きなければならないということは理解できるにしても、これを実現するには困難が伴い不可能ともいえるとして、「正しく生きたいと思う」という<現実的道徳律>を選択することになったのではなかろうか。
 このような朝鮮人の思考を律するのは「儒教」であると考える。朝鮮に儒教が伝来したのは、三国時代だといわれるが、ただ、そのころは仏教が支配思想となっていたため、国民の間には浸透しなかった。高麗時代には「仏教」は修身の、「儒教」は「治世」の掟と住み分けがなされていた。それが李氏朝鮮時代になってから、仏教を排斥し、儒教を国是としてため、「儒教」が支配思想となって行った。それを根底で支えたものが地方の中小地主階級だった。それ以前の高麗時代は中央集権が整備され、中央官僚・仏僧が支配階級を形成し、地方の中小地主階級は支配階級から排除されていた。李氏朝鮮王朝は高麗時代の支配思想も含めて支配制度を排除しなければ、支配を確立することができず、そこで利用したのが地方の中小地主階級であり、儒教であったのである。彼らは支配思想である仏教を克服する意味で「書堂(そだん)」という子弟の教育機を作り、そこで儒教を学び、これを精神的指針としていたが、これに李氏朝鮮王朝が乗った(利用した)と考える。
                              (目次に戻る)

(26)道徳律(2)

 李氏朝鮮王朝と地方の中小地主階級の利害が一致し、地方の中小地主階級は科挙という登用試験(儒教の学理試験)の合格者を独占することによって政権の中枢を占めるに要ったのである。儒学者のほとんどが地方の中小地主階級によって占められていることがそれを物語っている。
 儒教は、庶民は刑罰が適用され、「礼―倫理的規範」が適用されず、士大夫(中国「周」時代の中級・下級官僚)には刑罰が適用されず、「礼」が適用されるというもので、<士大夫の学問>ともいわれ、科挙という制度によって官僚を独占した朝鮮の地方の中小地主階級の特権意識に合致するもので、彼らに受け入れ易かったのである。
 元々、「儒教」は<修己治人の学>といわれ、己の精神の高揚を目指すという面と経世のための国家事業に参画すという面、があるとされる。朝鮮では儒教のうち「朱子学」が支配思想となったが、もちろん「朱子学」もこの両面を持っていた。
 李氏朝鮮王朝の創成期には、この<治人>に重点がおかれたが、王権が安定してくると、
体制維持に貢献する<修己>に重点がおかれることは必然であった。朝鮮の「朱子学」は性理学=理学、つまり、「気」によってもたらされる人欲を滅して天理(「理」)を明らかにするもので、ここから、天文、地理、律呂(音楽)、医薬などは「雑学」と称され、<修己>を極める者には必要ないものであるということになって行くのも当然のことであった。そして、<天理を明らかにする>ことが先でその実践は後であるとの「知先行後」が唱えられ、これは、やがて、非実際的な学問に陥って行った。 (目次に戻る)


(27)道徳律(3)

 これに異議を唱えたのが、「陽明学」である。これを唱えた「王 陽明」は朱子学の「格物致知」とは、物の在り方を格し(ただし)て人間本来の良知を致すようにすることだと理解した。この<良知>とは人間本来そのままの知であり、先に広く学んでその理を知り、その後にそれを実践するという朱子学の「知先行後」ではなく「知行合一」でなければならない、例えば、「孝」は人間本来の内なる心にあって、その理を知らなければ実践できないものではない。そして、このように聖賢の教えは書物を読書究理できる士大夫(中国「周」時代の中級・下級の官僚)の独占するものではなく、その余裕のない庶民にも聖人の境地に達することができる<良知>がすでに備わっており、この内なる「良知」こそが<天理>であると説いた。
 この「陽明学」は学理を士大夫(韓国の地方の中小地主階級および彼らからなる官僚)から奪うことになるので、朝鮮の朱子学者はこぞって反対し、これを異端として葬り去った。
 朱子学は、学理のための学問となり、党派のための学問となって、敗者は流刑、賜死(毒薬を与えられて自殺を強要される)となるので、学理も命がけで、血を血で争う事態となったのである(これを「士禍」(サグァ)という)。また、第17代孝宗(1649年〜1659年在位)が没した際には継母の大妃趙氏が喪に服す期間が1年か3年かで全国の儒者が動員され10余年も論争になるなど、今から考えれば全く無駄な理解しがたいことも行われた。このような喪服期間論争は一度に止まらなかった。      (目次に戻る)


(28)道徳律(4)

 このような朝鮮の儒教は、「衛正斥邪」すなわち、朝鮮朱子学こそが「正学」あって、それ以外の学問は「邪学」として斥けるということとなった。
 これはやがて漢民族の「華夷思想」に結びつき漢民族の「大中華」に対して自らを「小中華」と称する思想に染まって行った。
 漢民族国家である「明」が1644年に満州族の「清」に滅ぼされると、儒教が行われているのは朝鮮だけであるとして、「清」を夷狄であるとし、「清」の文化を排斥し、「清」そのものを排除しようとすることにもなった。その結果が、「恥辱碑―在日朝鮮人のための朝鮮歴史講座(1)に所収」となり「清」の属国となったのである。
 この論理は、19世紀になり、西欧の列強が朝鮮を覗うことになると儒教を国家の思想として受入れていない人倫に反した野蛮な国だと決めつけ、日本もまた<倭洋一体>と見なして排斥した。このように「衛正斥邪」は抵抗の思想としては一定の価値はあったが、変革の思想とはほど遠く、朝鮮の近代化の遅れをもたらし、やがて日本に併合されずとも中国、ロシアまた西欧諸国に支配されて行くのは必然であった。
                                  (目次に戻る)

(29)道徳律(5)

 朝鮮の国民を律しているものは、このように<儒教思想>、朱子学の<修己>、人欲を滅して天理を明らかにし、これが先でその実践は後であるとの「知先行後」となるのではないか。そして、<天理>を極めて「正しく生きなければならない」ということにつながっているのではないいかと考える。
 これに比べて、日本にも儒教は伝来した。江戸時代には徳川幕府によって儒教、特に朱子学を官学として採用した。これはそれまでの「下克上」の風潮を一掃し、既に獲得した権力を保持するための思想を必要としていたからである。しかし、武士階級には生死を超越するという教義のある「禅仏教」が広まり、また依然として極楽浄土を願う「浄土仏教」を信仰する者もいた。民間にも儒者が現れ、一般民衆にこれを説いたが、「浄土仏教」も根強く信仰されていた。いや、「浄土仏教」が本流となっていたのである。このように、江戸時代においても、儒教は民衆の中の支配思想にはならなかったと思える。江戸幕府は、中国・朝鮮のように「科挙」はついぞ採用しなかった。これは登用資格(合格基準)に「儒教」などの思想を採用することに疑問を抱いていたに他ならなかったと考える。
 この儒教については、単純に幕藩体制擁護の役割を担っていたと考えることは先入観に過ぎないとう見解もあり(尾藤正英 日本封建思想史研究 1961年発行  青木書店)、前記の武士階級の思想動向から見ても朝鮮のような強固な国家思想とはなっていなかったと理解したい。
 このことから、民衆、武士の中に流れていたのは「仏教思想」ではなかろうか。さらにもっと素朴な民間信仰である<万物に神が宿る>という思想ではなかろうか。        (目次に戻る)


(30)道徳律(6)

 「神道」もそうだが、「仏教思想」には、本来<政治思想>というものはないのではなかろうか。「儒教」のような<修己治人の学>ではなく、<修己>の学ではないか。もちろん「護国神道」、「護国仏教」というものはあったが、それは「神道」、「仏教」が権力と相互に結びつくための手段であり、<治世思想>と呼べるものは構築されなかったのではないかと考える。これが「神道」、「仏教」が<治世>に介入して、国難を招いたことのない<幸い>を日本にもたらしたのではないかと思う。明治維新以来の「富国強兵」も「大東亜戦争」も「(護国)神道」がもたらしたものではない。<良心的?日本人>と称される人々は「神道」が日本を破滅に導いたというが、「大東亜戦争」はアメリカに要因があるのであって、「神道」に要因があるのではない。覇権国家「アメリカ」がなければ、「神道」(もちろん「仏教」も)を信じた日本人が戦争という途を選択ことはなかったと確信する。
 このことから、戦後、「神道」を排斥したのは、日本の精神的支柱を崩壊させようと考えたアメリカと共産主義者・社会主義者の合作であったのである。彼らの<戦後民主主義>を推進するには、「神道」が大きな障害となっていた。
 何も「神道」が帝国主義、戦争賛美、軍国主義、の思想でもなかったが、>宗教を悪く<とする彼らにとっては排除すべき存在であり、「神道」が<スケープゴート>とされたに過ぎない。  (目次に戻る)


(31)道徳律(7)

 このように日本人の精神構造を形造っているのは、「仏教思想」さらにもっと素朴な<万物に神が宿る>という思想である。
 このような思想は多様性を内蔵しているのではないかと考える。つまり、唯一の絶対なる神を頂いていないということであろう。これに儒教などが加わって渾然一体となった<道徳律>を形成したのではなかろうか。聖徳太子によって604年に制定された「憲法17条」も「仏教思想」と「儒教思想」が混在しているといわれる。「仏教思想」を表したものは、第2条と第10条で、その他は「儒教思想」を表したものであるといわれるのも、このことを示している。
 したがって、朝鮮のように絶対視された「儒教思想」に裏付けられた<道徳律>はなく、
絶対的な<道徳律>は造り得なかったのではないかと考える。
 朝鮮人は「儒教思想」に裏付けられた人は正しく生きなければならない」という<道徳律>が支配し、日本人は>正しく<という道徳性を支持するにしても、絶対的に>正しく<というものを考えない、または、考えられないとしたのではなかろうかと思える。
 朝鮮人の思考にある>正しく<という絶対的なものがあるかも疑わしい。果たして絶対的に>正しい<などというものが存在するのであろかということである。朝鮮では今でもこの絶対的に>正しい<とは何かを巡って議論がなされ、国論が一致しないのである。
日本人はこれに対し「正しく生きなければならない」ということは理解できるにしても、この>正しい<という普遍的なものは存在しないとして、これを実現するには困難が伴い不可能ともいえるとして、「正しく生きたいと思う」という<現実的道徳律>ともいえるものを選択することになったのではなかろうか。
                                 (目次に戻る)

(32)「反日思想」の根源

 朝鮮の<反日思想>の根源は、前記のとおり、日本が「儒教」を国家および国民の思想となっていないところにある。日本は今でも「斥邪」の国として位置づけられているのである。朝鮮の<儒教国家>はまだまだ続く、これがなくならないうちは「反日思想」は払拭されることはない。朝鮮・韓国が経済的に日本を凌駕すれば、「反日思想」はなくなるということを説く者がいるが、これは誤りである。そのときには、日本を「邪学」に支配されているから、朝鮮・韓国に凌駕されたと言い、「反日思想」は「蔑日思想」に変わることがあってもその本質には変化がないと考える。
 朝鮮では、中国が親、朝鮮が長男(兄)、日本が次男(弟)という言い方がある。中国を親と考えているところに「属国」を当然だとする考えがあって面白いが、それはともかく、兄の朝鮮が日本にいろいろ諭してやり、文化も伝えたのに、倭寇で朝鮮の村々を荒らし、文禄・慶長の役で侵略し、日韓併合で植民地にした。これは、日本が<長幼>の律を破ったからで、再び日本に「儒教」を基本とする<道徳>を教えてやらねばならない。しかし、どうてい「儒教」を敬わない蛮族の日本はそれを理解できないので、これは打倒すべき存在である、というのが<反日思想>の根源である               (目次に戻る)



[V]日本人のための韓国講座
(1)盧 武鉉政権の崩壊

 みなさんは、反韓派、あるいは嫌韓派が多いと思われるが、だからこそ韓国に関心もっていただきたい。
 盧 武鉉大統領が国民に信を問うことなったとの報道は韓国で衝撃をもって受け止めれている。早くから、彼が大統領職を投げ出すのではないかと予想していたこちらからすれば、驚くにあたらない。
 どうしてこういうことになったかといえば、基盤が軟弱であったことの一言に尽きる。
これを説明するには盧 泰愚大統領時代から説明しなければならない。彼は政権を維持するため民主化を要求した勢力(実体は自由・利己主義者と容共主義者)の要求に屈し 金 泳三の率いる民主党と野合した。
こういうことが行われると政治はこれを推進した勢力に操られることになる。ここから韓国政治の混乱が始まった。
盧 泰愚大統領の後継者である「金 泳三」は民主化勢力に迎合して光州反乱事件(光州の民衆が起こしたことになっているが、実態は北朝鮮の工作員が主導したと言われている)の責任を問うということで遡及法を制定して全 斗煥・盧 泰愚元大統領を訴追し、刑務所に送った。
 政治的基盤のない政治家はその基盤を大衆に求める。大衆受けする政策を掲げる。大衆は熱しやすく冷めやすい、やがて大衆に見捨てられる。当選したときは86%の支持率も任期満了直前には10数%だ。金 大中も同じだ。
 盧 武鉉はもっと悪い金 泳三も金 大中も曲がりなりにも政党の総裁で軟弱ではあるがそれなりの支持基盤はあった。盧 武鉉は金 大中の政党に間借りしていたので、自前の政党の支持基盤がない。もちろん、大統領選挙も感情的で定見を持たない烏合の衆に支えられて乗り切った。しかし、先のとおり大衆の熱が冷め、支持率30%に急落した。最近、あわてて「統合新党」をに結成させたが、参加者は議会の20%足らずの勢力しかない(金
大中派の私党である千年民主党は影響力を保持するため参加しなかった)。
韓国では議会の2/3の多数があれば大統領を弾劾できる制度となっている。大統領弾劾は必至の状態だ。
 盧 武鉉大統領は全くの政治的素人(これまで国会議員を務めてきたが、落選と当選を繰り返し政権・政党内で要職に就いたことがない)で、スタッフもいない。政権は友人、市民団体からの寄せ集めだ。これでは国家を運営できるはずがない。彼を支えた民主利己集団は自分の権利を主張してやりたい放題だ。労働組合はストライキ、ストライキの連続で、労働大臣も「彼らの要求が正しければ従う他ない」と放言して国民の怒りを買っている。教職員組合も日教組どころではない。要求を通すためならストライキ、サボタージュ、同盟休校も日常茶飯事だ。日本の戦後間もなくのころの様相を呈している。
 加えて、国民総利己主義だから手が付けられない。経済は破綻に瀕しているのにソウル市の不動産(マンションー韓国ではアパートと言う)価格はとてつもなく高騰し、不動産購入実名制(不動産を購入するには実名で親戚など他人の名義を使用してはならないという制度)などどこ吹く風だ。こちらにも何が何だかわからない状態となっている。
街にはホームレスが満ち溢れているのに、3D(日本の3K)には韓国人は誰も就かない。これも李氏朝鮮時代からの「両班制度」のあおりで国民全部が貴族意識に囚われている。
 このように労働組合の力が強く整理解雇が認められていないから不良労働者解雇することすらままならない。これでは韓国に進出する外国企業などあろうはずがなく、撤退が相次いでいる。政権も支持基盤なので労働組合の暴走を止められない。
 かくして、盧 武鉉大統領は末期的状態に陥っている。政権を投げ出しますね。
 こちらはもう一度日本に統治してもらう他、韓国を救う道はないと韓国人にも話し、確信しているが、日本にとってはお荷物ですよね。  
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(2)韓国のイラク派兵

 韓国ではイラクへの韓国軍の増派について、国論が二分しているが、韓国政府はさらに3000人規模の軍隊をイラクに派遣すると決意した。
 韓国人は日韓併合前後の「義兵闘争」を覚えているだろうか? 朝鮮では日本の進出を契機に「義兵闘争」が二度に渡って起きている。第1回目は1896年(明治29年)に、閔妃(明成皇后)、断髪令などを契機として起きた。第2回目は1905年(明治38年)に起きたが、1907年(明治40年)の朝鮮軍の解散により激化した。
 2度とも日本軍によって鎮圧されたが、もちろん、当時朝鮮にいた日本人も多数殺された。
 韓国では、これを義挙であると評価し、日本人が殺されたのは侵略者であるから当然であると言っている。そうであるならば、この度、2人の韓国人がイラクで民衆によって殺されたが、このイラクの民衆の襲撃は何と評価するのであろうか? まさか、テロとは言わないよね!
 日本人を殺したのは<義挙>であると言うなら、韓国人が殺されたのもイラク人による<義挙>ですよね。韓国人はイラクの侵略者ですよね。殺されて当然ですね。これを非難するから滑稽だ! 
 まさか、日本は<侵略>だったが、イラクについては<復興>だなんて言わないよね。そういう理屈が通るなら、日本の立場からしたら復興だったと言えますね! 日本は朝鮮を併合(侵略)したが、韓国はイラクを併合(侵略)していない? 「併合」しなくとも<侵略>はありますよね。韓国が何と言おうと、イラク人から見れば<侵略>ですよね。
さらに、韓国軍がイラク人を掃討するとなるとますます日本を非難できなくなりますよね。
 自国中心の歴史を説くと、このような理屈が通らない結果となる。   
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[W]楽しい韓国
(1)韓国での食べ物(1)

 韓国は楽しい国です。韓国にはとりわけ厳しい批判をしますが、これも愛情の裏返しだと感じています。
 どこの国でもそうだと思いますが、食べることが一番楽しいのです。
韓国料理は一般的には辛いのですが、それが苦手な私のような人には「コムタン」がお勧めです。これは牛の尻尾を煮込んだもので、「コム」とは「肉や魚を煮込んだ汁物」の意味で、「タン」も「湯(タン)」の漢字で「スープ」を意味します。これは牛のエキスが出て白濁したスープで全くの無味です。食べるときには塩で味付けするだけです。したがって、全く辛くありません。これにご飯を入れて食べるのが一般的です。朝鮮では汁の入った器にご飯を入れるのが礼儀作法です。日本と反対になっております。
 もちろん「テグタン」といってとても辛いものがあります。これを食べることができる人は相当に辛いものが好きな人です。朝鮮人でもこれは食べられないという人が多いのです。
それと韓国は「おかゆ」が有名です。韓国人はとても酒が好きですから、胃に優しい「おかゆ」を良く食べます。「おかゆ」といってもご飯粒が入っていないものも多く、南瓜、松の実、アワビのものなどとても種類が多いのです。
 韓国の料理は「菜食」が中心です。日本のテレビなどでは、韓国といえば「焼肉」ですが、これは贅沢な料理です。日本でも刺身やすき焼きをそんなには食べませんね。これと同じです。 (目次に戻る)

(2)韓国での食べ物(2)−キムチ(1)

 キムチといえば、辛いものと思うでしょうが、そうでもありません。北に行くほど辛くなく、平壌の周辺の平安道では「白キムチ」といって、全く辛くないものもあります。キムチが辛いのは唐辛子のせいですが、これは腐敗を防止するもので、北へ行くほど寒いので腐敗しにくく、唐辛子をあまり使わないためです。確かに、平壌で食べたキムチは韓国のものと比べて辛くはありませんでした。したがって、一番辛いキムチは釜山だといわれています。 そうそう、キムチに欠かせない「唐辛子」は日本が<文禄・慶長の役>のときに持ち込んだものです(朝鮮の研究家もこれを認めております)。侍が寒さをしのぐために靴の底に入れて持ち込んだのが始まりです。私も雪国の出身ですが、子供のときに、藁くつ、長靴の中に唐辛子を入れて足が冷たくなるのを防いだことがあります。
 日本から唐辛子が持ち込まれる遥か前の三国時代には朝鮮人は野菜の塩漬けを食べておりました。これを「漬(シ)」と呼んでおりました。これが日本でいう「漬物」の語源です。
これが「白キムチ」のようなものではなかったかと考えられております。さらにこれが「沈菜(シムチェ)」と呼ばれるようになり、これが「キムチ」の語源といわれております。
 キムチが大きく発達したのは、日本が唐辛子を持ち込んだときからです。 (目次に戻る)

(3)韓国での食べ物(3)−キムチ(2)

「キムチ」はダシが決めてです。これを「薬念(ヤンニョム)」といいます。唐辛子、ニンニク、にら、あみの塩辛、など13種類くらい入れて作り、これを白菜に擦り込み、甕に漬け込むのです「薬念」の中身を省略すればするほど味の深みがありません。よくスーパーなどで売られている安いものは「薬念」の中身を省略したものです。キムチはヨーグルト並みの発酵食品ですから「薬念」の中身を省略しますと<発酵食品>ではなくなってしまいます。朝鮮人が日本のキムチは「キムチ」とは程遠いものであるというのは理解できます。
 ところで、キムチは世界中に輸出されておりますが、韓国産だと思っているかも知れません。ところが、その70%は日本産です。これは日本の研究の賜物です。キムチの欠点は、辛い、臭い、ということにあります。これを少しでも克服したのが、日本の「浅漬けキムチ」です。韓国が<キムチ王国>といって胡坐をかいているうちに日本に席巻されたのです。これを「偽者キムチ」と非難しても後の祭りです。
 余談ですが、日本から伝わったものは「唐辛子」、「タバコ」、「さつまいも」が有名です。朝鮮では「さつまいも」のことを「コグマ」といいますが、これは「孝行芋」が変化したものです。「孝行芋」、わかりますね。飢饉などのときに食用され、孝行だったからです。     (目次に戻る)

(4)韓国での食べ物(4)

北と南ではずいぶん料理がちがいます。北の料理で有名なものは、「冷麺―平壌が本場」、なお、咸興冷麺(ハムンレンミョン)というものがあり、咸興も北にあり、平壌冷麺との違いは汁がないのですが、これは北の料理ではなく、ソウルの人が考え出したものです。
「咸興冷麺」は辛いのが特徴です。中にはエイの切り身が入っているものが多いようです。日本人はエイをあまり食べませんが、朝鮮人はとても好きです。
これと「饅頭―餃子のこと」、「スンデー腸詰」、「蓼鶏湯(サムゲタン)−若鶏の中にナツメ、朝鮮人蓼などを米と一緒に入れて煮込んだもの」が四大料理でしょう。
北に旅行すると平壌の「玉流館」で平壌冷麺を食べることになっています。とても美味です。暖かい「温麺」というものもあります。「蓼鶏湯」は朝鮮人蓼の本場の「開城」という板門店のすぐ北にある高麗の都があったところの名物です。別名「高麗蓼鶏湯」ともいいます。ソウルで「高麗蓼鶏湯」の看板を見たら、その店の主人は北の出身でしょう。
韓国では犬を食べますが、これも本来は北の料理の一つです。今でも北では犬をよく食べます。犬は、一に黄、二に赤、三にブチ、といわれております。真偽の程は定かではありませんが、結核に効くといわれております。
猫は食べません。猫はとても忌み嫌われており(日本と同じく化けて出るからです)、今ではどうかわかりませんが、飼っている人はほとんどいないのではないでしょうか。    (目次に戻る)

(5)韓国での食べ物(5)

 食文化が異なりますから、食べ物はずいぶん違います。日本と朝鮮は海でつながっており、同じ魚を食べると思われがちですが、そうでもありません。朝鮮で一番高価な魚は、鯛(トミ)ではなく、イシモチ(チョギ)です。日本では1匹300円ほどですが、韓国では2000円くらいします。実際の貨幣価値は日本の1/4ぐらいですから、とほうもない高さです。日本のイシモチでも充分においしいのですが、韓国人にいわせると問題にならないくらい韓国の方がおいしいといいます。実際に食べたところは若干韓国のイシモチがおいしいかなといった程度でした。それからタラ(テグ)も大変よく食べます。スケソウダラですね。この卵(たらこ)は「明太子」として有名です。北朝鮮の日本海側の羅津(ラジン)に行ったときに、トラックに満載して中国に運んでいるのを見かけました。イカも大変好んで食べます。もちろんスルメも大好きです。太刀魚(カルチー刀魚の意味)も良く食べます。前に言いましたエイ(カオリ)も刺身で食べます。刺身(フェ)、これは日本人が日本統治時代に持ち込んだものです。フグを食べるものもそうです
朝鮮人は白身の魚が好きで、いわゆる青魚は嫌いで、さんま、さば、などの魚は以前はあまり食べなかったといいますが、今では日本人並みに食べます。
鰻も食べます。蒲焼が多いのですが、これも日本人が日本統治時代に持ち込んだものでしょう。ただ、日本と違って丼ではなく、蒲焼そのものを食べますが、食卓の傍らで焼き、いらないというまで焼いてくれます。そうです。朝鮮人は食事の量にとてもうるさいのです。
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(6)韓国での食べ物(6)

 韓国の留学生が日本に来て一番寂しいのは、食事の量が少ないことだと言います。
 例えば、漬物は日本ではお金を取りますが、韓国では取りません。食事代の中に含まれているのです。お代わりは自由です。何回でももらえます。韓国では例えば焼肉を注文しますとキムチ、野菜、小女子(コウナゴ)など10種類くらいのおかずが出てきます。これは別料金ではありません。焼肉代の中に含まれているのです。もちろん、お代わりは自由です。朝鮮人にいわせると「日本人は鳥の餌を食ってやがら」ということになります。不味いと「豚の餌なんぞ食わせるじゃねえ」と怒ります。かって、朝鮮語を学んだときに、
在日朝鮮人が言った言葉が忘れられません。日本人は食べ終わると美味しゅうございましたと言ってくれるのですが、再び来店することはない、朝鮮人はこの野郎豚の餌なんぞ食わせるじゃねえと怒りますが、次の日はまた来てくれといいます。朝鮮人は物事を直截的に言います。遠慮がありません。
 朝鮮人は辛いものだけ食べていると思われがちですが、そうではありません。韓国では「王朝料理」というジャンルがあります。李氏朝鮮王朝の王族などが食べていた料理を再現して食べさせてくれます。ソウルの中心部にある「コリアハウス」はこの料理を食べることができます。辛くはありません。もちろん、洗練された上品なものです。この料理を食べた後で韓国舞踊などを見ることができますから、ぜひ、ご覧ください。これは観光コースには入っていませんが、ガイドに頼むと予約してくれます。1人1万円弱と思います。
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(7)韓国での見所(1)

 韓国での軍事分断線(38度線)ツア−としてお勧めなのは、「鉄原(チョロン)」ツア−です。
 朝鮮戦争が終わるまでは、北と南は北緯38度線で分断されておりました。高麗王朝の都があった「開城(ケソン)-京畿道の道庁所在地」も韓国側に位置しておりました。「鉄原」は逆に北朝鮮側に位置しておりました。今では「開城」は北朝鮮、「鉄原」は韓国の領土となっております。
 「鉄原」は、朝鮮戦争の激戦地ですが、日本時代から京城(ソウル)と元山への京元線の中間に位置しておりました。かっての北の共産党庁舎、鉄原駅舎(月下駅?)、焼け焦げて横倒しになっている列車も見られます。私は離散家族の陸軍大佐(大領)の連隊長の案内で見学しましたが、外国人でもパスポ−トがあれば見学することができます。ツア−もあるようです。
 韓国側からの「板門店」ツア−はとてもお勧めできません。
理由は、規制、規制で、しかも駆け足見学で、写真も撮る暇もありません。そして、朝鮮戦争の時の南北休戦会談が行われた会場も北側にあり、南側には戦跡はありません。さらに、北からの見学の方が自由で、写真を撮る時間もたっぷりあります。
 韓国側からの「板門店」ツア−はトンネルツア−だけがお勧めです。
 北を覘いて見たければ、「亀頭山(オドゥサン)統一展望台」がよろしいでしょう。ソウルの郊外にあり、ツアーもあります。眼下には北朝鮮を源流とする「漢江(ハンガン)」が緩やかに流れ、臨津江(イムジンガン)との分岐点も見ることができます。双眼鏡で覗くと北ののどかな田園風景が広がっており、農夫がこちらに向かって手を振ってくれることもあります。とても景色の良いところです。
 帰路には「鰻の蒲焼」がお勧めです。韓国の蒲焼がどんなものか、また、食べ方などを知るよい機会です。
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(8)韓国での見所(2)

 韓国に行ったら、全羅道へ行ってみることをお勧めいたします。
そう「金 大中」の故郷です。朝鮮は日本海側に山が、黄海側に平野が広がっています。
全羅道ではのどかな田園風景を見ることができます。日本からの観光ルートは釜山からソウルへとかっての京釜線(キョンブソン)をたどる旅がほとんどです。途中には新羅の都「慶州」があり、そこもすばらしいのですが、やはり本当の韓国を知るなら「全羅道」です。
 全羅道に行くなら全羅南道「木浦(モッポ)」を訪れてください。ここは日本人が開いた街です。港町で背後の「儒達山(ユダルサンー山というより丘)」に登れば街が一望に見渡せます。背後には「金 大中」の故郷の多島海が広がり多くの小島が浮かんでいます。とても景色が良いので、登ってみてください。市民も多く、日韓友好の途が開けるかも知れません。
 「田内 千鶴子」さんの孤児施設「木浦共生園」を訪れるのもよいでしょう。日本人がいかに朝鮮人に尽くしたかをうかがうことができます。何がしかの寄付をされれることをお勧めいたします。木浦の人で「木浦共生園」を知らない人はおりません。朝鮮語がわからなくとも通りかかった老人を見つけて話せば日本語が通じると思いますから、心配はありません。
 それと、「南原(ナモン)」も小京都のような街です。ここは朝鮮の悲恋物語「春香伝」の発祥地で毎年5月には、「春香祭」が開かれます。ここは「慶長の役」のときに激戦があり、「南原城」には住民が立て篭もり(朝鮮では戦いではそのような形態を採る)、日本軍に頑強に抵抗し、ついには全員戦死したところです「南原城」の一角がまだ残っております。
 北に上がって(ソウル)に向かって、全羅北道の道庁の所在地の「全州」を訪れて「ビビンパップ(まぜご飯の意味)」を食べてください。全羅道は食べ物がとても美味しいところです。

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[X]在日朝鮮人のための北朝鮮講座
(1)糞尿大国

 北朝鮮の地方の単独住宅(一戸建て)には、トイレはありません。
 こちらも北朝鮮には数回訪問しましたが確認はできませんでした。しかし、親しい在日朝鮮人に聞いたので間違いありません。
 李氏朝鮮時代末期に朝鮮を旅行した外国人の旅行記にもこのことが記されておりますが、驚くに当たりません。李氏朝鮮時代に戻っただけです。パリのベルサイユ宮殿にトイレがなかったそうで、あの大きく広がったドレスは用足しを外から見えないようにするためのものだったと聞いたことがあります。それと香水もその匂いを消すために発達したものだということです。
 さて、話を北朝鮮に戻します。部落には共同便所がありますが、だいたいは野糞が普通です。ところが、1995年前後から、あの将軍様の命令で事情が一変しました。各家族に人糞を原則として1家族1月60kg(家族構成によって違いがある)の供出が義務とされたからです。家の外で野糞などしたら他人に持って行かれか供出の義務が果たせなくなるからです。そうだからといって家の中にトイレを作るだけの余裕(金)はありません。庭に囲いをして野糞?と相成るわけです。
供出の義務が果たせないと総括集会でつるし上げを食いますから必至です。子供も道で動物の糞を拾って歩くことが日常となりました。なかには豚を飼うことができる人はその糞を人間の糞に混ぜて供出の義務を果たすことにまりますが、豚を飼うことは大変で、子豚が1匹6,000円(日本円)位で彼らの給料の3ヶ月分位です。日本円で10,000円あれば、米が120kgは買えます。
なお、豚は必ず2匹飼わねばならず、これを60kg以上に育てた上で1匹は政府へ1匹は自分が食べるという話がまことしやかに日本にも伝わってきましたが、これは嘘です。
今では道に糞一つ落ちていない清潔な?北朝鮮です
風呂、これはある方が珍しく、日本からお金が送られている家にだけあります。部落には共同風呂はありますが、機能していません。したがって、行水で済ませます。

どこからも要望はありませんが、このたび新たに<在日朝鮮人のための北朝鮮講座>を始めさせていただきました。
 それと「鶏鳴狗盗」さん こりゃ大変な「反韓派」だ!    (目次に戻る)

朝鮮講座 番外編
(1)黄長Y 投稿者:解法者

 この件については意見を述べる前に韓国人の評価を聞きましょう。
1、法官(裁判官)                 56歳 男性
  自分だけ良い子になっている。自分が北でしたことの反省が全くない。
 人間としても最低の奴だ。
2、法官(裁判官)                 42歳 男性
  何のために韓国に来たのかわからない。命を失いたくないからきたのではないか。それ しか理由が見当たらない。韓国には全く必要のない人だ。日本でもアメリカでも行ってて 欲しい。先生も日本移住の橋渡しをお願いします。
3、司法官(法務部)                39歳 女性
  捨てられた家族はどうしたの。韓国に新しい妻がいるという。納得できない。
4、弁護士                     35歳 男性
  帰順(韓国に亡命)した理由はやむを得ないものがあるとは思う。だが、今の政権(金
 大中)にとっては必要ない人物だ。弁護士会としても彼を支援するという話はない。結局 見捨てらる運命にある。気の毒な人だ。
5、会社員(日本の大学卒業生)           31歳 男性
  北の体制を批判するために来たのだから、それ相応の待遇も必要だ。家族の問題は
 やむを得ないと思う。
6、5の妻                     29歳 女性
  家族を見捨てて道徳的にも許せない。全く関心がない。
7、会社員(5の友人)               31歳 男性
  自分のやって来たことへの反省がない。記者会見でも自己弁護に始終している。
 人間的にも問題があり、信用できる人物ではない。自分を高く売ろうとしている。
8、離散家族(北から朝鮮戦争の時に逃げて来た)   70歳 男性
  首吊り役人が自分が首を吊られるので逃げて来たに過ぎない。こいつは北で善良な
 国民を殺して来た男だ。韓国に来たのが幸い、死刑にすればよい。  (目次に戻る)

(2)黄長Y(2) 投稿者:解法者

 彼の韓国での評判は芳しくない。
 彼を評価できない人は、次のことに集約されるのではないでしょうか。
1、自分が北でやって来たことの反省が全くない。会見でも自己弁護に始終していて見苦 しい。
2、態度が傲慢だ。人を見下したようなところが多く見受けられる。
3、家族を見捨てたうえに韓国でも妻(内縁?)がいる。道徳的にも許せない。
4、北での殺人者だ、反省も必要ない。弁解は許されない。
5、会見(特に日本)で金を稼いでいる。結局、金目当てではないか。
6、今の韓国の情勢(南風政策)からして必要がない。厄介者だ。
 これに対して評価する人は、次のことに集約されると思われる。
1、北の体制を暴露して、民主化に役に立つ人物だ。
2、北の体制の恐ろしさを理解してあげなくてはならない。家族を捨てたのもやむを得ない。韓国に内妻がいても、男は一人で生きては行けないから許される。
 
 確かに、韓国でも日本でも記者に対する態度は傲慢の一言に尽きる。相手に思いやり、
気配りは全く感じられない。性格にも問題があると思う。これは本来の性格なのか、権力の座に長くいたからなのかはわからないが、韓国人は前者だと言うものが多い。これが災いして北にいられなくなったのではないかと考えてしまう。
 また、北でしたことの反省が全くない。弁解に始終している。気分が確かに悪くなる。
 どれほど、北の核問題などを知っていたか疑問だ。自分を高く売ろうとしているのではないかとの疑いが晴れない。日本のマスコミは食い物にされている感じがする。
 家族などの問題はやむを得ないと思うが、女性の評判が悪い。

 韓国では完全に過去の人で、マスコミにも登場しない。訪米は珍しく報道された。騒いでいるのは日本だけだ。ハンミちゃん一家も同じだった。脱北者などは最近では入国のときだけで、後はニュースにもならない。国民は全く関心はない。「ニム(他人)」には
 元々関心はない。
 黄長Y 韓国での評判は非常に悪い。      (目次に戻る)

(3)黄長Y 投稿者:鶏鳴狗盗

皆さんご存知と思いますが、西尾幹二のインターネット日録からのコピペでつ。
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Subject:平成15年8月28日     (二)        
From:西尾幹二(B)Date:2003/08/29 14:39

 西村さんの話によると、北のNO2の亡命者黄長●(=火+華)はアメリカの権力、日本の資金力を背中に背負って金正日の代替役を買って出ようとしきりに画策しているらしい。外国の力で凱旋将軍になろうとしているのはいかにも朝鮮の人らしい発想である。

 しかし、北に置き去りにされた黄の糟糠の妻、子供たち以下一族はすでに処刑されて、地上にいない。連座制にはまるで鎌倉時代を見る思いがする。それでいて、黄は哀れな死にものぐるいの亡命者でもないらしい。韓国政府は発言を封じる代りに彼を保護している。すでに若い美人の妻がいて、80歳を過ぎて2歳の児をもうけているともいう。

 日本の国会で彼を証人として呼ぼうと企てたことがあった。日本政府が求めれば、韓国政府も出国許可証を出さざるを得ない。しかし、企ては日本側の事情で成功しなかった。個々の議員の力でも日本に彼を呼んで発言させることはできなくもないが、黄は若い妻と子供のほか五人の「大名旅行」をほのめかして、どうにも話にならないらしい。

 普通の日本人の平和で静かな暮らしのすぐそばに、「処刑」といい、「若い妻」といい、日本に期待される「資金」といい、桁の外れた法外なこと、どぎつくも生々しいことが現に存在している。歴史物語に聞くような話が同時代の私たちの住む世界と隣り合わせている。

 哀れな悲劇とばかり思っていると、死のすぐ横に欲望があり、救国の傍らに権力への妄念があり、凄絶な情念がとぐろを巻いている。人間は生きている限り人間でありつづけて、無常を悟ることはないからに相違ない。しかしこうした歴史の変転を高い処から見る視点もあってもよいのではないかと不図心に横切るものがあった。政治を非政治的に観念するものの見方もあってよいのではないかと。さりとて西村さんに電話でそこまでお話するわけにもいかなかった。コラム「正論」の拙文における「日本の香港化」への警鐘にあらためてお褒めのことばをいただいて、電話が切れた。
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80歳を過ぎて2歳の児だと??
さてさて、どこまで本当かな?         (目次に戻る)

(4)韓国の小噺 投稿者:解法者

 韓国人が韓国に留学中の日本人に向かって「日本人は清潔と聞いているが、どの程度清潔かは知らない。試してみたいがどうか」と提案し、同じく韓国に留学中の中国人に向かって「中国人は不潔だと聞いているが、どの程度不潔かがわからない。試してみたいがどうか」と提案して、一緒に豚小屋に入ることになった。
 日本人は豚小屋に入るなり、「想像を絶する臭さだ、とうてい我慢できない」と言って出て来た。韓国人はしばらく我慢していたが「豚の臭さには我慢できるが、豚と一緒にいるのは自尊心が許さない」と怒って出て来た。中国人がなかなか出てこないので我慢強いなと思っていたら、豚が猛烈な勢いで飛び出して来た。豚は「俺も臭いが、中国人の臭さは想像を絶する。一緒にいたら俺が腐ってしまう」と泣いたという
                            (目次に戻る)

(5)韓国の売春と食べ物 投稿者 白紙のゴドー

少々前に話題上っていたトルコ風呂についてです。
10年前、以前の職場の都合でアメリカに滞在していた折に知り合った在日ではない韓国人との間の(つたない英)会話の中で売春について話した際に「日本では違法」と伝えたところ「ウソだ、日本にもTurkeybathがあるじゃないか」、
Turkeybathの意味がわからずに何の事かと尋ねてソープランドの事だとやっとわかりました。
あのやりとりからすると韓国にもソープランドがあり、それを当時はまだトルコ風呂と呼んでいたのでしょうか。
そういえば日本国内のソープの経営者の殆どは在日だと聞いた事がありますね。
また韓国では、サウナに併設された床屋での散髪が済むと女性が来てオーラルセックスをしてくれる風俗店があるとも聞きました。
これが解放者さんが書いていらっしゃる「理髪所(イバルソ)」にあたるのでしょうか。

>もちろん、売春禁止法は存在する
彼は韓国では売春は合法だ、と言っていた様に覚えているのですが聞き違いだったのだろうか。

本場トルコ風呂は男性には男性が、女性には女性がついて体を洗ってくれる所と聞いた事があります。
日本の銭湯でいう「三助」にあたるのでしょうかね。
(三助は女湯にも出入りしていたのですね。知りませんでした。)
http://www.wind.ne.jp/asakusau/asakusa/kobore/kobore2.htm#sansuke

アメリカ滞在中には日本食より安かったので韓国人街によく食べに行きました。
マンハッタンの中心部にも大きくはありませんが、殆どの食堂が24時間営業している韓国人街がありました。
よく食べたのが「ソルロンタン(発音が定かではありません)」
http://www.kaishoku.com/korea/korea1/kunndonn.htm
ご飯の上に刺身とサラダを乗せた「フェドッパプ(発音が定かではありません)」もよく食べました。
                               (目次に戻る)

(6)まじめな話 投稿者 鶏鳴狗盗
まずは伝統芸能タルチュム@韓国における巫女の面を見ていただきたい。
この面は、2chハングル板に貼られている有名なスレッドで知ったのである。

当初は、「能と比べるにはちと酷やなー。」と思いながらもそのユーモラスな表情に思わず大笑いしていた。
同時に、○○学会の広告塔と呼ばれる下品な面したタレント衆とはちがって日本の神社にいる巫女さんは若くて品を感じさせる方が多いと思うのだが、なぜ隣同士の国でこうも評価が違うのかと疑問を持ったものである。このタルチュム面には「庶民の軽蔑・あざけり」の意味合いが込められているとしか感じないのである。

聖職にある者がなぜこうも軽蔑されていたのか?
その手がかりになるようなスレッドを最近NAVERで見つけた。
韓国で教えない、朝鮮の迷信

この記事を見て、私はタルチュムの巫女面を笑えなくなった。
以前、英語の発音を良くするために子供の舌を切る韓国人の母親が紹介されていたが、朝鮮人は体の一部を切ることに抵抗がないのだろうか。そういえば韓国は整形手術大国でもあるし・・・。

>解法者さん
朝鮮半島における「巫女」は、社会においてどのような役目を果たしていたのですか?
写真を見る限り、尊敬されていたとは思えません。
よろしければ一講座お願いしたいのですが。     (目次に戻る)
(7)平和?侵略? 投稿者:蒼

「997年高麗人九州を侵す」と年表に書いていますが何か?1388年にも遼東を攻めているようですが。たしか対馬も討伐されましたよね。朝鮮民族が「平和を愛する民族」なんて真っ赤な嘘でしょう。
韓国の地下鉄火災ニュースでは遺族は確かに泣いているように嘆いてはいたが、涙は流していなかった。ちなみに「泣き女」は中国が本場です。                     (目次に戻る)


(8)パクとキムのザパニーズレストラン 投稿者:白紙のゴドー

韓国系アメリカ人が女体盛でマンセーしています。
「ウリが日本文化を紹介してやっているのに抗議ニダか?謝罪と補償を(以下略)」

Bonzai manager Daniel Park, says he doesn't know the cultural roots of "body sushi" but insists it is "performance art."
ボンザイのマネージャー、ダニエル朴氏は、女体盛りの起源は知らないがこれはパフォーマンスアートであると主張する。

The women, the food and the diners make a "spontaneous piece of art which changes every time a piece of fish is taken," he said.
彼は女体盛りに乗る女性と料理は、一切れの魚がつまみ取られるたびに変化していく本能的な芸術であるとも言う。

Bonzai chef and owner Jun Hong, a Korean-American, claims he's helping to popularize Japanese and Asian culture to people who may never have been exposed to it.
ボンザイのシェフでありオーナーでもある韓国アメリカ人ジュンホンは今まで知らなかった人々に日本とアジアのカルチャーを社会に広めるためにやっていると主張する。

"We've introduced sushi to many people who have never eaten it before," he says.
彼は、私たちは今まで一度も食べたことがなかった多くの人たちに寿司を紹介したと言う。

http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&cid=1516&ncid=1516&e=1&u=/afp/20031114/od_afp/us_offbeat_sushi_031114171030
                         (目次に戻る)

(9)太極旗 投稿者:鶏鳴狗盗

「韓国の国旗である太極旗はシナの古典、易経が起源nida!」ってことは聞いていましたが、八卦がなぜ四卦なかのを疑問に思ってました。
その疑問がようやく解けますた。
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=625576&work=list&st=&sw=&cp=2

そうは逝っても、「自分たちの憲法を持たない国」が偉そうなことは云えませんな。
                         (目次に戻る)

(10)韓国派兵 投稿者:解法者

>明日北朝鮮が韓国に攻め入った場合、日本は法整備を無視しても自衛隊を派兵すべきだと思いませんか?
>専守防衛に徹し韓国を見殺しにするのでしょうか?

私は「見殺し」と言われても専守防衛に徹すべしだと思います。
その代わり「海上封鎖」は徹底して行わないといけないでしょう。
国内でのテロも予想されますから、韓国に派兵などする余裕はないでしょう。

 これを「朝鮮学?」から読み解いてみたい。
 韓国も北朝鮮も名うての「反日国家」である。日本軍が韓国・朝鮮で活動するためにはそこにいる人々の協力が欠かせないと考える。しかし、これが可能であろうか。おそらく、韓国・北朝鮮軍はもちろん民衆まで日本軍に刃を向けるのではなかろうか。<文禄・慶長の役」の二の舞になると考える。
 こんな状態で日本軍の血を流すわけには行かない。<見殺し>、それ何? 韓国も北朝鮮も元々同盟軍でも何でもない。敵対している隣人です。
 >専守防衛<で結構。それよりも韓国(もしろん北朝鮮)でも朝鮮戦争のときとは比較にならないくらい激しい戦闘状態になると考えるから、韓国・北朝鮮人がそのとき以上に海を渡ってやって来るぞ。戦争がもちろん避難民に紛れて武装軍人もやって来る。当然、テロもあるだろう。それよりも渡来した韓国・北朝鮮人が今の在日韓国・北朝鮮人と呼応して権利の主張をし、日本のなかに反日集団を結成するだろう。そうなっては国難となる。
この対策こそが急務だ。
 酷いようだが、海を渡って来る韓国・北朝鮮人を全員、日本海に沈めてしまうくらいのことを考えないと子孫に禍根を残すことになろう。                       (目次に戻る)

(11)専守防衛 投稿者:鶏鳴狗盗

半島が南北だけで戦争始めるなら、明日にでも始めてもらいたい。
とはいえ米韓は軍事同盟をむすんでいるはず。

有事が発生し、
@軍事同盟に基づき、岩国・佐世保の米軍が動き始める。
A北朝鮮が「何らかの手段」で岩国・佐世保を攻撃する。
B市民が巻き添えになる。

このようなシナリオになっても「専守防衛」を貫ける?
「いざとなれ憲法も法も無視する」態度は北朝鮮のみならず、他国への牽制にもなる。
                             (目次に戻る)

(12)日本人女性が北に亡命? 投稿者:椿 四十郎

世の中には不思議なことがあるものです。
しかし、亡命の正確な定義は知らないが、普通亡命といえば政治的なりなんなりの理由で、その国にいたら本人の生命に危険がある場合にのみ認められるのではないか?
日本で生命の危険とか迫害を受けるなんて事があるのか?
ところで、本当に日本人かね?                (目次に戻る)



   


               死刑制度目次

死刑制度論考  解法者氏投稿文による
1 アメリカの現状(1)
2 アメリカの現状(2)
3 ドイツの現状
4 世界の情勢
5 結論(1)
6 結論(2)
7 結論(3)
8 結論(4)
9 結論(5)

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死刑制度論考
(1)アメリカの現状(1)

 アメリカという国は「死刑廃止論者」にとって都合の悪い国だ。
 1999年11月現在で、アメリカの各州で、死刑があるかどうかの分類を見てみると、次のとおりとなる(「知っていますか 死刑と人権 一問一答」 アムネスティ・インターナショナル日本支部編著 解放出版社 1999年12月10日発行 より引用)。
1、 死刑の制度があり、実際に死刑が執行されている州       26州
2、 死刑の制度はあるが、死刑が執行されていない州        12州
3、 死刑が廃止されている州                   12州

死刑制度と犯罪(殺人罪、強姦罪)の関係を見てみると次のようになる(「死刑 ★アメリカの現実 下巻」 イアン・グレイ、モイラ・スタンレー著 恒友出版 1991年12月18日発行 より引用)。1990年の統計である。
※ 殺人・強姦件数(10万人当たり)、人口(万人)
1、 死刑の制度があり、実際に死刑が執行されている州
 テキサス    殺人 2022件(12.2件)、強姦  8199件(48.4件)、 1678
 カリフォルニア 殺人 2936件(10.4件)、強姦 11780件(41.8件)、 2817
 ワイオミング  殺人  12件( 2.5件)、強姦   173件(24.0件)、  47
 ニューハンプシャー   殺人  25件( 2.3件)、強姦   276件(25.2件)、  110
2、 死刑制度があるが、死刑が執行されていない州
 ニューメキシコ     殺人  173件(11.5件)、強姦  580件(38.4件)、  151
 テネシー    殺人  462件( 9.4件)、強姦  2201件(44.7件)、  492
 コロラド    殺人  187件( 5.7件)、強姦  1269件(38.6件)、  329
 ニュージャージー   殺人  411件( 5.3件)、強姦  2600件(33.7件)、  722
3、死刑制度が廃止されている州
 ワシントンDC    殺人  369件(59.4件)、強姦  165件(26.6件)、  62
 ニューヨーク  殺人 2244件(12.5件)、強姦 2244件(30.6件)、  1790
  ★ 当時、死刑制度が廃止されていた。
 ノースダコダ    殺人  12件( 1.8件)、強姦   74件(11.2件)、  68
 アイオワ    殺人  47件( 1.7件)、強姦  466件(15.7件)、  283

 これらのことから、死刑制度と死刑がある殺人・強姦とは関係ないことがわかる。
したがって、死刑制度がなければ、犯罪(殺人・強姦)が減少するという見解は誤りである。また、死刑制度があれば、犯罪(殺人・強姦)が減少する、あるいは犯罪(殺人・強姦)がかえって増加するという見解も誤りである。
 なお、1990年の統計とは古く、新しい統計を探したが、見当たらなかった。そのため、犯罪(殺人・強姦)の推移が不明である。これは今後の課題として残しておく。それにしても<死刑廃止論者>からも、新しい統計の提示がない。これは理解できない。比較できれば自説に有利となると考えるのだが。
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(2)アメリカの現状(2)

 アメリカでは、死刑存置論者が増加している。市であれ、州であれ、国であれ、死刑廃止論者はその長には当選しないといわれている。
 ニューヨーク州で3期12年の知事を務めた「クモオ」も1994年の選挙で死刑復活を公約に掲げる共和党の無名新人の「パタキ」に敗れ去った。「ジョージ・ブッシュ(現在のブッシュ大統領の父)」も1988年の大統領選挙で、死刑反対の「マイケル・デュカスキス」民主党候補に圧勝した。「ビル・クリントン」大統領候補も死刑には積極的だった。今や、共和党であれ民主党であれ<死刑反対>では選挙に当選する可能性はない。
 死刑賛成者は年々増加している(「死刑 ★アメリカの現実 下巻」)、特に、ニューヨーク・テロ以来、アメリカでも死刑制度を支持する者が増加している。
 看守の中には「終身刑で一生刑務所にいることになれば、囚人は希望をなくし、非協力的になる。それが凶暴化に発展する場合も多く、死刑制度を望む」という者もいる(宮本倫好 文教大学教授 死刑の大国アメリカ 亜紀書房 1998年5月10日発行)。<死刑廃止論者>はこのような現実を看過しているとも考えられる。
 いずれにせよ、アメリカでは単純に死刑賛成かどうかを問えば、賛成者は8割を越えるといわれる(宮本 前掲書)。以前は死刑反対に若者が圧倒的に多かったが、今では大学の新入生の3/4が死刑に賛成とされる(イアン・グレイ、モイラ・スタンレー 前掲書)。
 アメリカでの死刑廃止への道は遠い。
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(3)ドイツの現状

 西ドイツでは、1949年5月23日にドイツ連邦記基本法(憲法)によって、死刑が廃止された。最高刑は終身刑となった(東ドイツでは1990年の統一まで、依然として死刑制度が維持されて来た)。そして、1963年〜1994年の間の殺人罪は20%低下しているとされる。
(H・M・ウェーバー フルダ専門大学教授―「死刑廃止国(ヨーヨッパ)調査報告書 日本弁護士連合会編集・発行 2001年8月31日発行 P84」)。
 ところが、ドイツでは、終身刑に処せられた者が、1990年 56人、1992年 65人、
1994年 86人、1996年 100人、1998年 128人と増加している。これは東ドイツが統一されたため人口が増えたことにも要因があるとは思えるが、年々増加しているのは、本来死刑に処されるべき者が終身刑に処せられたということを意味している。
 ドイツの死刑制度への復活賛成者は、1996年の統計では、西ドイツ地域においては、賛成35%,反対45%であるが、東ドイツ地域では、賛成45%,反対31%となっており、賛成が
年々増加している。これについても、同教授は質問の仕方によって左右されるとし、賛成者の増加に疑問を投げかけているが、そうであるとするならば、質問の仕方によって死刑制度復活への反対者も減少する可能性がある。                    死刑制度目次に戻る

(4)世界の情勢

 世界で死刑制度については、1999年4月現在で、次のとおりである(アムネスティ・インターナショナル日本支部 前掲書)。
1、死刑存置国                          127国
 @ 現に死刑を実施している国                     90国
 A 死刑制度はあるが、10年以上実施していない国            23国
 B 通常犯罪については死刑制度は廃止したが、特殊な犯罪(例 軍犯罪、内乱罪など)
には死刑が残されている国                     14国
2、死刑廃止国                           68国
 死刑制度を保持している地域は、アフリカ、中近東が多い。死刑制度が廃止されている国は、ヨーロッパ・ロシア地域に多い。
 死刑の執行が一番多いのは、中国で1998年には1068人といわれている(アムネスティ・インターナショナル日本支部 前掲書―中国は統計を発表していない[筆者の調査])。アメリカが同年に68人(死刑確定囚は3500名以上―前掲書)。しかし、実際は北朝鮮、イラク、イランだといわれているが、統計を発表していないので不明である。                      死刑制度目次に戻る

(5)結論(1)

 死刑制度が死刑に相当する犯罪を減少させるかについては、そうではないと思える。
しかし、問題は制度ではなく、実際に死刑が執行されるかどうかではないかと考える。
ナチスがデンマークを占領していたときに、連合軍の夜間爆撃を防止するために「夜間灯火管制」を敷いたが効果がなかった。そこで、命令に違反した者は即刻死刑にすると布告したところ、違反者が1名も出なかったという例がある。また、イギリス占領下の19世紀のインドで<サギース>という秘密結社が旅行者などを200万人も殺したが、手をこまねいていたイギリスが殺人者を逮捕し即刻公開死刑に処したところ根絶に成功した例もある。
 これを宮本倫好 文教大学教授は特異な例だとするが(死刑の大国アメリカ 亜紀書房 
1998年5月10日発行)、そうではない。中国は世界一の死刑大国であるが、公開制度の死刑制度がそれでも犯罪の減少をもたらしているとする指摘がある。また、同氏はアメリカで死刑制度があるから殺人を犯したという犯罪者を例に挙げているが、日本でも大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件の加害者にもその傾向が見られるが、それこそ、特殊な例を挙げて、死刑制度に反対していると考える。さらに、「死刑制度は抑止効果をもたらすどころか、殺人事件は逆に増えている」と考えているが、これについても「1人死刑にするごとに平均18件の殺人が抑制され、死刑を1%増やすと105件の殺人が予防される」という見解もある(S・レイソン ノースカロライナ大学教授)。軽々しく死刑制度が殺人者の増加をもたらす、などと言うべきではない。いずれにせよ、同氏のいう「死刑復活後10年間で、死刑を実施している州では死刑廃止州より警官殺しが2倍だった」などの資料は見当たらなかった(宮本倫好 文教大学教授の前掲書は、掲載した数値の出典を明らかにしていないので、事実かどうかを調べるのに苦労したー学者としての見識を疑う)。
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(6)結論(2)

 「 ねじまき鳥#」氏の引用文は以上のとおり、自己に都合のよいものを寄せ集めたものに過ぎません。学習者の態度としては引用する論考を鵜呑みにするのではなく、自分で原典に当たって、論証することが大切です。なお、同氏の引用する「イギリスに関しては、死刑制度あり(1946〜65)と死刑制度なし(1966〜85)とを比較すると、殺人数が60%増加(ただし同じ時期に暴力犯罪が160%増加したのに比べるとはるかに少ない伸び率)」とは何を意味するのでしょうか?
殺人罪と暴力罪を比較しているのではありません。死刑制度を廃止したら、殺人が増えたと考えれば良いのです。この言い草は問題のすり替えです。いずれにせよ、正確なデーターが望まれるところです。宮本倫好 文教大学教授の前記の著作は詳細なデーターに基づいていないことから信頼性に大きく欠けると考えます。
 死刑廃止論者は、自分に都合の良いデーターを挙げて論拠にしている傾向が強いのです。また、日本弁護士連合会、アムネスティ・インターナショナルなどは<死刑存置論者>を呼んで、見解を聞き、論証するという当たり前のことをやっていない。>死刑廃止論者<のみを呼び寄せて、討論を行うから、論拠が一方的になって、著しく信頼性に欠けると断言できます。
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(7)結論(3)

 死刑が重犯罪者の予防に効果があると考えるが、それよりも被害者の無念、残された家族・友人の無念をどう晴らすか。に死刑制度の存置があると考えなければなりません。
 >死刑廃止論者<は、その問いに十分に答えているとは言えません。「オウム真理教事件」、
「大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件」の被害者で加害者の死刑を望まない者を知りません。>死刑廃止論者<が彼らを説得できないことは疑問の余地がありません。被害者が復讐に燃えている不道徳者であると非難することもできません。
 刑法の根幹をなす、刑罰は<応報か>、それとも<教育か>の問題とも関連します。
 死刑囚に教育が可能かについては、まず、不可能の者が多いと考えてもよいと思います。不可能だからこそ<死刑>が宣告されるのであることを忘れてはなりません。これが可能だとして死刑に反対する者があれば、それは論理というより信念でしょう。 無期懲役刑に処せられて仮釈放された者が再び殺人を犯す例もあります。こうなっては、司法の責任放棄であると非難されても仕方がないでしょう。
 現在、日本で「教育刑主義」を唱えている刑法学者は皆無ではなかろうか(かなりの数の刑法の著作を当たったが見つけることができなかった)。それを見ても「教育刑主義」は支持を失っているのではないかと考えます。                         死刑制度目次に戻る

(8)結論(4)

 死刑制度がなかったら、被害者の家族は<復讐>に走らないとも限らない。これを笑ってはならない。人の感情などというものは理屈で推し量ることができない。人はそう冷静ではないのだ。誰が感情的だと非難できるであろうか。
 法治国家が成り立って行くためには、適正な刑の執行が前提だと考える。この均衡が破れたときには、人は司法を信頼しなくなり<復讐>を考えることは否定できない。
法治国家の崩壊が始まる。わが国の国民に<死刑制度>は必要ないと説得できるであろうか。>死刑廃止論者<の運動が広まって行かないのはそこにある。
 加えて、重犯罪者を社会から隔離するという目的も無視できない。わが国の「終身刑(無期懲役)制度」を見ても、10年くらい服役すると仮釈放が待っている。これでは何のための終身刑かわからない。最近では、「無期懲役」に代えて「終身刑」を導入すべきであるという考えが現れて来ている。
 しかし、重犯罪者を社会から隔離するという目的は確保されるが、やはり、被害者の感情をどう考えるかという問題が依然として残る。先に述べたように、看守などの刑務所職員の「終身刑で一生刑務所にいることになれば、囚人は希望をなくし、非協力的になる。それが凶暴化に発展する場合も多く、死刑制度を望む」という考えや終身刑に要する費用をどう考えるかという問題も考えなければならない。<教育不能>な者に国民の負担を強いることにはならないだろうか? 
 >重犯罪者を社会から隔離するという「究極的な目的」は<死刑>にあるという側面もありうるのである。
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(9)結論(5)

 死刑の存置を望む者が<反>人権派で、死刑の廃止を望む者が人権派ではない。死刑を廃止することが<人権>に添うものでもない。わが国ではえてしてそのような分類がなされることが多い。しかし、死刑存置論者も死刑廃止論者のいずれも<人権主義者>である。
これは、力点をどこに置くのか、つまり、加害者に置くのか、被害者に置くのか、また、広く国民に限らず日本に滞在する者の安全をどう考えるかにも密接に関係してくる。安易に<人権>、<非人権>というレッテルを貼ることは避けなければならない。死刑一つを考えるについても<人権>は衝突する。殺した者の人権か、殺された者の人権か、である。
繰り返すが<力点>をどこに置くだけのことである。
 「世田谷一家殺人事件」、「福岡殺人事件」、被害者に全く落ち度がない。この加害者を死刑にするということが<非人権>といえるのであろうか。
 死刑廃止論者は、死刑は誤判の場合には取り返しがつかないことを理由にする。しかし、人が人を裁くのだ。誤りは致し方ない。これを以って、死刑存置論者を>非人道的<と非難してはならない。再審制度もあり、完全ではないが考え得る救済措置は採られている。現在の死刑執行も再審にかかっている者については死刑を執行しない。これでは不十分であるというなら、これはもはや<裁判制度>の否定ということになる。   
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